2026年01月11日(日)

=あなたが神の愛の深さを知るために=

【説教要約】<旧約聖書>創世記3115

クリスチャン人生には、誘惑はついて回り、サタンは隙があれば私たちを神から引き離そうとしています。 サタンは、蛇を用いて人を誘惑しました。クリスチャンは必ずサタンに誘惑されます

そして罪は「神のことばへの疑い」から始まります。ですから私たちは、聖書のみことばに絶対的な信頼を置かねばなりません

また女は、蛇の質問に中途半端な答えをしました。神のことばを自分本位に解釈するとき、信仰者はサタンに心の隙を与えます。またサタンの誘惑は“賢さ”を装って近づいてきます

またサタンは被造物を利用します。サタンは身近な者や、人間関係や情報/文化/価値観などの無形なものも利用します。

ですから私たちは、「神のみことばを大切にする」ことです。また「誘惑に目を向けないこと」です。エバは、蛇の誘惑のことばに誘われて“善悪の知識の木”をじっと見つめたときに誘惑されたのです。

サタンは女に言いました。「あなたがたは決して死にません」。でも彼らはすぐに「霊的に死にました」。「霊的に死ぬ」とは「神からの断絶」です。

罪が入った瞬間、アダムとエバは ・神を恐れ、・神から隠れ、・神との交わりを避けるようになったのです。神が言われた死は、“霊的な死”であり「神との関係が断たれること」です。

逆の視点から言うと「人が生きているというのは、その者が神との関係をしっかりと保っていること」なのです。

また肉体の死についても、罪が入った瞬間から間違いなく「肉体の死のプロセス」が始まったのです。アダムとエバは罪を犯したときから、肉体的にも死ぬ者となったのです。

罪ある者が、永遠のいのちに生きることはありません。罪はこの世の属性ですが、永遠のいのちは天の御国の特質だからです。

そしてサタンは「それを食べるとき、目が開かれる」と誘いました。しかし、彼らが開かれた目で見たものは「自分たちが裸である」ことだったのです。

罪を犯す前、彼らは神の前に何の隔たりもなく立っていましたが、罪を犯した途端に、彼らは「神の前にそのままでは立つことができない」と感じるようになったのです。

サタンは「目が開かれる」と言いましたが、アダムとエバの心の内に実際に開いたのは、“神の視点”ではなく“自分中心の視点”だったのです。

その結果、神は彼らに呼びかけられました。「あなたはどこにいるのか」と。

それまでアダムとエバは、常に神とともに親密に暮らしていたのに、罪が彼らに入ったために、彼らは神の範疇の外側に出てしまったのです。

しかし彼らは罪を指摘されたときにも、自分の過ちを素直に認めず、「私は悪くはありません」との弁明に終始したのです。

男は言います、「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたのです」。女は言います、「蛇が私を惑わしたのです」。

彼らが弁明する姿は、イエス様のポンテオ・ピラトの前での沈黙(マルコ15章4,5節)を貫かれた姿とは対照的です。アダムとエバは、自分の罪のために自己主張をしましたが、イエス様は全人類の罪のために沈黙を守られたのです。

それで神は言われます。『わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ』。

このことばの“女の子孫”とは、サタンに対抗して、サタンに致命的な打撃を与えるものです。サタンは人を神から引き離すことに成功しましたが“女の子孫”は人を神のもとに取り戻すのです。

そうです“女の子孫”とはキリストです。 神は人が罪を犯した直後から、罪からの救いを約束してくださったのです。

神はすべての人を憐れんでくださって、全人類の救い主を地上に遣わすことを決意してくださいました。そこに、人の罪の大きさと神の愛の深さが表されています