2025年12月31日(水)
<讃美歌>讃美歌171番「輝く日を仰ぐとき」
<聖書日課>ヨハネの福音書8章12~19節「世の光」
イエス様は「わたしは世の光です」と言われます。そして、ご自分に従わない世の人のことを、「闇の中を歩んでいる」と言っておられます。 また光は、闇の中にあっては希望を意味します。
人は暗闇の中で光を見ると、その光に向かって歩き出します。そこに希望があると考えるからです。
しかし今の世の人々は、誰一人として「私は暗闇の中にいる」とは思っていないでしょう。世の人の多くは「私は希望と目標をもって人生を歩んでいます」と言うでしょう。
それでもイエス様は、「世の人々は暗闇の中を歩んでいる」(12節)と言われます。それは世の人々の霊の目が開かれておらず、闇の中で輝く希望の光が見えないからです。
「闇の中に輝く希望の光」。それは、永遠のいのちの希望であり、イエス様そのものです。イエス様が与える希望は、永遠のいのちの希望です。
イエス・キリストを知らない世の人は、自分が永遠の絶望の中に生きていることを知りません。
イエス様は、そのような人に「ご自身が永遠のいのちの希望の光」であることを教えるために世に来られました。そしてイエス様が<希望の光>であることを教えられた者には、永遠のいのちが約束されるのです。
そのことを福音書記者は1章5節で「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」と記しました。 それでみことばは私たちに語ります。「あなたは世の光ですか」と。
信仰者である私たちが「世の光」であるとは、「私たちが、振る舞いやことば使い、明るい笑顔でイエス・キリストを証する」ことです。
でもクリスチャンであっても、自分の力で<世の光>となることはできません。クリスチャンは光ではないからです。でもクリスチャンは、イエス様の光を反射して暗闇を照らすことが期待されています。
そしてイエス様が世の光として地上に住んでくださった(1章14節)ように、イエス様に倣う私たちも遣わされた所で”世の光”とされるのです。
その事実をイエス様は、8章12節で「わたしに従う者は、‥いのちの光を持ちます」と言っておられます。 私たちが、遣わされた所で<世の光>であるために、イエス様が私に何をしてくださったのかを常に覚えさせていただきましょう。
その時、私たちが放つ世の光は、暗闇の中にあって明るく輝くのです。 アーメン