2025年11月16日(日)

=あなたが永遠のいのちを勝ち取るために=

【要約】<福音書>ルカの福音書21519

弟子たちはエルサレム神殿を見て「何とすばらしい神殿だろう」と感心しますが、イエス様は「どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が来ます」と言われます。

それは神殿が徹底的に破壊されるときです。このとき、イエス様は三つのことを思っておられました。

一つは、70年のローマ軍によるエルサレムの破壊です。この時、ヘロデが再建した神殿も破壊されます。その事実は、神殿中心の礼拝から、霊とまことによる礼拝への転換を意味します。

ヘロデの神殿は「外なる栄光と内なる空虚さ」の象徴です。契約の箱もなく、見栄を張ったユダヤ人たちが形式的な礼拝を行っていた場所です。

でもそのような神殿を背景に、イエス様は「真の礼拝とは何か」「神の臨在はどこにあるのか」を人々に教えられたのです。

人の心は、目に見えるものに捕らわれがちです。それは人の弱さなのかもしれません。私たちは、私たちの心の中にイエス様が建て上げてくださった神の宮を、ますます堅固なものとして築き上げねばなりません

二つ目は、それは“再臨の時”だです。弟子たちはヘロデの神殿は、永遠に立ち続けると思っていたようです。それで弟子たちは、神殿が徹底的に破壊されるときは、再臨の日以外はあり得ないと考えたのです。

それでイエス様も、弟子たちに再臨について教えられました。再臨の時は、大変大きな災いが起こります。

もしそのような災害に直面した時に、私たちが「終わりが近づいた」と言って右往左往するのであれば、どうしてそこに信仰を見ることができるでしょうか。

そこに、真の神への信仰は生きておりません。信じるということは、どんな状況の中にあっても、それらすべてに目を注いでおられる神の目に期待することです。

今イエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言って<生きた信仰>に生きることを促しておられるのです。

三つ目は、ご自身の<十字架の死>です。イエス様の十字架の死は完全な死でした。

イエス様の身体は、裁判のために一晩中引き回され、水も食事も与えられず、むち打たれ、あざけられ、いばらの冠をかぶせられ、十字架を背負って歩かされ、手と足を太い釘で打ち付けられ、最後は槍で腹を刺し通されて、完全に滅ぼされたのです。

エルサレム神殿が徹底的に破壊されることは、古い旧約時代の制度的礼拝、すなわち“罪のいけにえをささげ続ける礼拝”の終わりを告げています。

そして、神そのものであるイエス様の身体が完全に十字架で破壊されることにより、イエス・キリストを信じる者の心の内に聖霊なる神が住んでくださる新しい神殿が確立されるのです。

罪は人に入って、その者を神から完全に引き離しました。それは、罪があなたの内にある神の神殿を破壊している状態です。

それでイエス様は、「あなたの内にある神の神殿を再建しなさい」と言われます。そのキーワードは「わたしの名のために」です。

この後、弟子たちは全世界に出て行って福音を宣べ伝えますが、そこでは迫害が起こりました。その迫害の原因は、弟子たちが“イエスの名”に忠実に仕え、イエス様の権威・人格・福音に忠実であったからです。

それは、私たちの信仰の本質が「イエス様との関係」にあることを示しています。「わたしの名のために」という表現は、弟子たちがイエス様に属する者であることを明確にするのです。

私たちがイエス・キリストを信じる者である間は、迫害は必ずつきまといます。しかしイエス様は、そのことは「証しする良い機会です」と言われます。

またイエス様は「(あなたがたは)すべての人に憎まれます」と言われ、「あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません」と言われます。

それは、永遠の視点から見た時に、神は必ずご自分に従う者を守ってくださるとの約束です。肉体的には苦しみや悲しみがあっても、神の御手の中でたましいは守られるのです。

そして、そのように迫害の中にあってもイエス・キリストに従い続ける者が、忍耐によって永遠のいのちを勝ち取らせていただくのです。

私たちの内にある神の神殿。それはイエス様が十字架で完全に死んでくださった故に建て上げられた聖霊の宮です。

あなたの心の内にある神の神殿は、堅固な土台の上にしっかりと建っているでしょうか。キリスト者の生涯は、主によって心の内に建てられた神の神殿を、より堅固なものへと造り変えていただく生涯です。

そのために、イエス様は19節で「忍耐することによって」と言われます。これからの私たちの信仰生活においても、忍耐が求められる時は多々あるでしょう。

忍耐をもって祈り続けましょう。 その祈りの原動力となるのがイエス・キリストの十字架による罪の赦しの事実です。

そして、そのようにイエス・キリストの十字架による罪の赦しにすがる者が、心の内にある神の神殿がより堅固なものと造り変えられ、永遠のいのちを勝ち取ることになるのです。