2025年10月08日(水)

<讃美歌>讃美歌392番「主よわが心を」

<聖書日課>マルコの福音書11章12~24節「キリスト者の備え」

イエス様がいちじくの木を枯らされたのは、最後の一週間の月曜日の出来事です。その週の金曜日には十字架につけられることになる切羽詰ったときです。

ベタニアの村で宿泊されたイエス様は、人々に福音を語るためにエルサレムの宮に出かける途中です。空腹をおぼえられ、いちじくの木に実がなっていないか期待されましたが、何もありませんでした。

いちじくの木は、青々とした葉っぱばかりが茂っていて、肝心の実は生っていなかったのです。その意味で、いちじくの木は期待外れでした。それで、イエス様はその木を呪われたのです。

この出来事でイエス様は、弟子たちに「常にみことばを蓄えていること」を教えられました。

私たちの所には、いつみことばを求めて人が来るのか分かりません。そのときあなたは、クリスチャンとしての実を、少しでもその方に分け与えられますか?

祭司長や律法学者たちは、表向きは「自分たちは立派な信仰者です」と振舞っています。その祭司長や律法学者たちのことを、イエス様は「彼らは青々と葉っぱばかりが茂っている”実を結ばないいちじくの木”だ」と言っておられるのです。

だから彼らは、宮の中で商売をして自分たちのために利益を上げることに一所懸命であり、人々に必要なもの(神の福音)を語れなかったのです。その上、彼らはそのことを咎められたイエス様を殺そうと図ったのです。

人の心の空腹を満たすものは、神のことばである聖書のみことばです。主は、あなたが常にみことばを心に蓄えて、豊かな実り多い信仰生活を過ごすことを期待しておられます。

イエス様も、弟子たちに常にみことばを語り、神の期待に応えて来られました。

私たちは、いつ主の必要に応えられるように、日々みことばに養われる信仰生活を過ごしましょう。そのような者が、まことの主の弟子として、主は大いに祝福して用いてくださいます。

あなたの今日からの信仰生活が、さらに祝福されたものとなりますように願っております。

感謝して、 アーメン