2025年10月1日(水)

<讃美歌>讃美歌337番「やすかれ わが心よ」

<聖書日課>マタイの福音書19章16~22節「永遠のいのちへの道」

イエス様の処に近づいて来た青年は、模範的な生活をしていました。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。 父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」。

その青年は、永遠のいのちを得るために、それらのすべての戒めを守っていました。でもその青年は、永遠のいのちを得ている確信は得られませんでした。

そのことによって、青年は永遠のいのちを獲得するために、いいところまで導かれてきたのです。人は、律法を守ることによっては、永遠のいのちを獲得することはできないことを身をもって体験したからです。

でもこの青年の間違っていたところは、「律法は人を永遠のいのちに導かない」ことを体験したにもかかわらず、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」とイエス様に尋ね、一層律法にすがり付こうとしたことです。

律法は、人に完全を要求します。律法によって義とされるためには、すべての戒めを守らなければなりません。

ですからイエス様は、律法にすがり付こうとする青年に『完全になりたいなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。』と言われたのです。

そのことばでイエス様は、「あなたは、行いによっては永遠のいのちを獲得することはできません」と教えられたのです。

しかしながら、そのことばを聞いて青年は立ち去ってしまいました。自分の財産に未練があったからです。

すべての人は、完全になることはできません。生まれた時から、人は罪を持っているからです。そして自分の努力では、その罪を帳消しにすることができないからです。

だからすべての人を完全にするために、神はイエス様を地上に遣わしてくださったのです。イエス様を信じる信仰が、その者を完全にして、永遠のいのちを与えるのです。そのように神が決められたからです。

立ち去った青年は、すがり付くものを間違えました。自分の財産にすがり付くのではなく、目の前におられるイエス様にすがり付くべきだったのです。

私たちは、信仰によってイエス様にすがり付き、完全な者とされていることを感謝します。そして、そのようにして完全な者とされることが、永遠のいのちへの唯一の道なのです。

今、私たちは<永遠のいのちへの道>を歩んでいます。 その特権を感謝しつつ、これからもイエス・キリストにすがる信仰生活を続けさせていただきましょう。

感謝して、 アーメン