
2025年07月16日(水)
<讃美歌>讃美歌412番「父の神, このわれを」
<聖書日課>マタイの福音書25章31~46節「羊とされる祝福」
この場面は、イエス様がオリーブ山で弟子たちに語られた<オリーブ山での説教>の締めくくりの話です。その説教の中でイエス様は、終末に何が起こるのかについて話され、その最後に「羊と山羊のたとえ話」を語られました。
すべての人々は、肉体の死後裁き主の前に出なければなりません。イエス様はその事実を「すべての国々の人々が御前に集められます。
人の子は、‥彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます」と言われます。もちろん、羊が天の御国を受け継ぐ者たちであり、山羊は永遠の火に入れられる者たちです。
では羊と山羊は何によって分けられたのでしょうか? 裁き主であるイエス様は、羊として分けられた人々に言われます。「あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、‥」。
そのイエス様のことばに、羊たちは答えます。「主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませたでしょうか」。
それに対して主は「あなたがたが、最も小さい者たちの一人にしたのは、わたしにしたのです」と言っておられます。羊たちは、無意識のうちに貧しい人たちへの愛の奉仕を行う者と変えられていたのです。
人は罪を持って世に生まれてくるため、そのままでは善い行いをすることはできません。ここで<善い行い>とは、主をほめたたえる行いです。
ですから神の愛に触れて、自分の罪深さを教えられ、イエス様が自分の罪を赦してくださったことを感謝する者だけが、無意識のうちに<善い行い>を行う者と変えられるのです。
一方山羊たちは、「私は神を畏れています」と言いながら、実のところは人目を気にして、世の栄光を求めていたため、彼らの行いは、主に覚えられません。
私たちはもちろん羊になりたいと願います。でも私たちは自分の努力で羊になることはできません。
私のために<罪を取り除く神の子羊>(ヨハネ1章29節)となってくださったイエス様に感謝する者が、羊として神の前に取り分けられるのです。
そのような羊とされた者が、天の御国を受け継ぐに値する者とされるのです。八鹿教会に<神の子羊>が、ますます増やされますように願っております。 アーメン