
2025年05月04日(日)
=あなたが主に用いられる者となるために=
<使徒書>使徒の働き9章1~20節
サウロは、イエス様の弟子たちを捕まえるためにダマスコへ向かいました。しかしサウロは、主の弟子たちを縛り上げても、主のことばを縛り上げることはできないこと、またイエス様のことばが、自分を縛り上げる力を持っていることを知らなかった。
サウロがダマスコに近づいた時に天からの光に照らされ、イエス様の声を聞きます。『サウロ、なぜわたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである』。このことによってサウロは次のことを教えられました。
①イエス様ご自身が神であること。サウロは、声の主が神であり復活されたイエス様であることを教えられました。その事は、サウロがその時まで信仰の土台としてきた律法主義が、彼の内で完全に崩壊した時でもあります。
律法は人を罪に定めますが、イエス・キリストの福音は人を永遠のいのちへと導くのです。
次に②主の弟子を迫害することは、神であるイエス様ご自身を迫害することです。
それでイエス様はサウロに言われます。『立ち上がって、町に入りなさい』と。立ち上がって主に従う時に、主はサウロが次になすべきことを教えてくださったのです。
同じように、主はあなたにも試練を与え、立ち上がることを求められます。あなたが<神の選びの器>となるために。“立ち上がる”とは、主に従い続けることです。
さてサウロは立ち上がりましたが『目を開けていたものの、何も見えなかった』。その時までサウロは、「自分こそ正しい信仰者だ」と自信満々に生きて来ました。サウロの自負は打ち砕かれなければならなかったのです。
この状況を通して、主は「あなたは謙虚になって、わたしに従いなさい」との強いメッセージを発しておられます。そして私たちも信仰者としての生き方を、心の目を見開いて見直すことも必要ではないでしょうか。
そしてサウロのところにアナニアが遣わされました。アナニアは躊躇しました。サウロが迫害者であると知っていたからです。
でも主は『行きなさい』と言われた。主に「行きなさい」と言われれば、無条件で行くのが弟子です。主は、ご自分の弟子たち一人ひとりに違った役割を与えられます。そして役割とともに恵みも与えられます。
主の働きの前に立ちはだかる障害物を恐れてばかりいても、それは取り除かれません。「行きなさい」との主のことばに従ったときに、障害物は取り除かれ祝福が降ってくるのです。
そこで私たちは、ここで主がサウロに備えておられる三つの祝福を見つけます。
第一の祝福は、サウロが「イエス・キリストの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ」ことです。サウロは迫害者から福音を伝える伝道者へと変えられるのです。彼は福音を宣べ伝える使命を通じて、神の恵みを深く体験することになります。
またサウロは、異邦人に福音を伝えることで、「神の救いがすべての人々に広げられる」壮大な計画の一部に加えられるのです。そのような働きに加えられることによって、サウロは“神の器”として用いられる喜びを感じたのです。
第二の祝福は「サウロが、イエスの名のために苦しむことです」。私たちは、この後サウロが受ける苦しみの大きさを知っています。
しかし、苦しみを通してサウロは神の恵みを体験し、主が常にともにおられることを学びました。苦しみはサウロ自身の信仰を深める祝福と変えられたのです。
第三の祝福は、サウロが「聖霊に満たされることです」。目が再び見えるようになった直後からサウロは「この方こそ神の子です」と言って、イエス・キリストを宣べ伝え始めたのです。そのことは、サウロが聖霊に満たされていた証拠です。
私たちも、聖霊に満たされれば満たされるほど神との関係はより親密なものとなり、より多くの祝福を受けることは間違いありません。
この後パウロは、これらの三つの祝福を受けつつ、当時のローマ社会にイエス・キリストの福音を宣べ伝える器とされました。
私たちも神の祝福に満ちた人生を歩みたいと願います。
ただ私たちがしっかりと抑えなければならない事実は、神の祝福を受けることは「人生がすべてうまくいく」ことではなく、「あなたが、神の存在をより身近なものとして教えられる」ということです。
そしてそのことが、何物にも代えがたい心の平安をあなたに与えるのです。それが、あなたが<神の選びの器>とされることであり、そのことによって、あなたは神のご計画の一部分を担わせていただくのです。