2025年04月20日(日)

=あなたの魂が新しく活かされるために=

<福音書>ルカ24章1~35節

週の初めの日の朝、女性たちが墓に向かい、そこで二人の御使いに会いました。御使いは『どうして生きている方を死人の中に探すのですか』と言います。この御使いのことばは二つのことを意味しています。

一つは、イエス様は死んでいるのではなく生きているとの事実です。もう一つは、イエス様が生きていることは、人には信じがたいことだということです。

人は物事を理性で理解しようとします。それで多くの人は神が分からない。神は人の理性を超えたところにおられるからです。

それで福音書記者ルカは、イエス・キリストの復活を明確に示すために、二人の弟子に起きたことを記しました。エマオの村へ向かった二人は夫婦だと考えられています。クレオパ夫妻です。

その日、エルサレムは混乱していました。墓へ行った女たちは「御使いは、イエス様はよみがえられたと伝えた」と言っている。でも誰もイエス様を見ていない。

それでクレオパ夫妻も困惑しながら、エマオの村の家へと歩き出しました。 するとクレオパ夫妻に誰かが近づいて話しかけてきました。イエス様です。

でも二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。 クレオパ夫妻は、イエス様の弟子でありながら、イエス・キリストについての不確かな知識しか持っていませんでした。

彼らは、イエス様を救い主メシアとしては知らなかった。 彼らは、イエス様を十字架につけて殺した者の中に自分たちも含まれていることを知らなかった。

彼らは、救い主に世的な望みを抱いていたため、惨めな死に方をしたイエス様には「望みを裏切られた」と言っている。さらに彼らは、「イエス様は生きている」と言われても疑っている。

イエス・キリストが誰であるのかを知ろうとしない者は、さえぎられた目/さえぎられた耳しか持てないのです。

彼らは「救い主は、イスラエルを開放する方だ」とのこの世的な思いで心の目が閉ざされ、目の前のイエス様に気が付かなかったのです。

それでイエス様は、旧約聖書に書かれている救い主メシアについて二人に教えられました。クレオパ夫妻は、ワクワクしながらイエス様の講義を聞いたでしょう。

それでも彼らは、その人がイエス・キリストであることが分からなかったのです。

そしてエマオの村に着き、その人が食卓でパンを裂いた時、クレオパ夫妻の目が開かれて「イエス様だ」と分かりました。その瞬間、イエス様の姿が見えなくなりました。

彼らは肉体の目でイエス様を見ることができなくなりましたが、心の目はイエス・キリストを見ていました。彼らは言います。『道々お話しくださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心は内に燃えていたではないか』。

神のことばである聖書が解き明かされることは、その者の心の目が開かれることです。そして、開かれた目が見るものは救い主イエス・キリストです

この後クレオパ夫妻は、すぐにエルサレムへと向かいました。復活のイエス・キリストにお会いした喜びを、自分たちだけに留めておくことができなかったからです。

クレオパ夫妻が、エルサレムからエマオに向かう足取りは重かったでしょう。でも、エマオからエルサレムへ引き返す足取りは非常に軽かった。彼らの心は非常に明るかった。

イエス・キリストを知ることは、あなたの心を明るくすることです。

今日のみことばは、私たちにも問いかけます。「あなたの心は、内に燃えていますか」と。内に燃える心とは、イエス・キリストについてもっと知りたいと願う思いであり、イエス・キリストをもっと伝えたいと願う心です。

人は、イエス・キリストが自分の罪からの救い主であり、天の御国で永遠のいのちに生かしてくださる方であると確信した時に、心は内に燃やされるのです。

クレオパ夫妻は、心が内に燃やされてエルサレムへの道を急ぎ、他の弟子たちに「私たちは、復活されたイエス様に会ったのです」と伝えました。

同じように、心が内に燃やされたあなたは、黙っていることができずにイエス・キリストを他の人に伝える者とされるのです。