2025年04月13日(日)

=主の十字架は、あなたのためであったと知るために=

<福音書>ルカ23章26~46節

シモンはイエスが十字架を背負わされて、死刑場まで引かれていくのをただ見ていた。しかしイエス様は、シモンの心に信仰があるのをご覧になりました。

イエス様の関心事は、最後まで<失われた人の魂を父なる神のもとに取り戻すこと>です。

今イエス様は、すべての人間の罪を贖うために、十字架を背負い、血を流すためにゴルゴダの丘へと歩いておられる。ここにイエス・キリストの忍耐があります。ここに父なる神の愛があります

しかし力尽きて道端に倒れこんでしまわれた。そこに、クレネ人シモンがいた。シモンは神に選ばれたのです。それでローマが、シモンに十字架を背負わせたのです。ここに、キリスト者の本来の歩みが描かれています。

イエス・キリストの十字架を負って、イエス様の後に従うのがクリスチャンなのですイエス・キリストの十字架を負うことなしに、十字架の勝利はありません

十字架の勝利それは永遠のいのちを手にすることであり、この地上においてまったき平安の内に生かされることです。

十字架の勝利を獲得するために、人はイエス様が歩まれた後を倣って、自分に与えられた十字架を担うのです。

シモンは十字架に付けられるイエス様の姿を見て、イエス様が語られたことばを聞いたのです。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです』(34節)。

そのことばを聞いて、シモンはイエス・キリストを信じたのです。それは<十字架の勝利>です。

二人の犯罪人も、イエス様の声と世の声の両方を聞きました。

世の声は言います『もし神のキリストなら、自分を救ったらよい』。それで犯罪人の一人が、イエス様をののしって言います。『おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え』。

この犯罪人は、世の声に従ってイエス様を挑発したのです。この犯罪人は、世の声に従ったために永遠の滅びに落ちていきました。

もう一人の犯罪人は、イエス様の声を心に留めて自分の罪を悔い改め「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください」と言って、神の憐れみにすがったのです。

その犯罪人は、人生の最後で「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいる」との約束をいただきました。これは<十字架の勝利>です。

十字架の勝利は、信仰に対する恵みとして与えられるものです。イエス様は、あなたのためにも十字架を負ってくださいました。

イエス様があなたの十字架を負われたのは、あなたがまことの道<天の御国への道>を見出すためにです。実にイエス・キリストご自身が、天の御国への道なのです

45節『すると神殿の幕が真ん中から裂けた』。神殿の幕とは、聖所(人の領域)と至聖所(神の領域)を隔てる分厚い大きな幕です。神の領域と人間の領域を分けていた分厚い幕が裂かれたのです。

その幕が裂かれたことは、天の御国に人が入れていただける道が備えられたことを示しています。そのことは、人にとって<十字架の勝利>です。

しかし私たちは、その背後にある神の思いを忘れてはなりません。

太陽は光を失いました。これは超自然的な出来事です。神は、我が子イエスの死の悲しみを、太陽を暗くすることによって現わされました。

あなたは忘れてはなりません。「あなたの十字架の勝利である罪の赦しと、天の御国への道は、神の悲しみをもって備えられた」ことを。

そしてそのことを教えられたあなたの心は、イエス様への感謝で満たされ、あなたに与えられた<十字架の勝利>は、あなたの心をますます豊かなものとするのです。