
2025年03月19日(水)
<讃美歌>讃美歌412番「父の神このわれを」
<聖書日課>ルカ13章22~30節「狭い門から入りなさい」
イエスは十字架につくためにエルサレムへ向かって旅をしておられます。すると一人の人がイエス様に言います。「主よ。救われる人は少ないのですか」。
その人が、どうしてそのような質問をしたのかは分かりません。 以前、どこかでイエス様がそのようなことを言っておられたのを思い出したのか。
それとも自分の実感として、そのように感じたのでそのように質問したのかもしれません。
その質問にイエス様は、直接的に多いとか少ないとかは答えずに、人々に「あなたがたは、狭い門から入りなさい」と言われています。 このことばでイエス様が言われていることは二つあります。
一つは、信仰は神と人との個人的な関係だということです。
「あの人が信じるから私も信じる」という信仰はあり得ません。イエス様は、他の人がどうであれ「あなたはわたしを信じますか」と問われています。
もう一つは、正しい神との関係を選び取る人は少ないということです。私たちは、日常生活の中で多くの人と係わりをもって生きています。
そこでは、何かの決断を迫られる機会があります。多くの場合、多数派の意見に従うことは無難なことでしょう。でもイエス様は、永遠の命に係わる決断をするときは、多くの人の意見に流されないように警告されています。
それは、神はすべての人が天の御国に入る道を選び取ることを望んでおられますが、その中のほんの一部の人だけが、正しい道を選ばないことを知っておられるからです。
私たちは、すでに狭い門を選び取り、天の御国への道を歩みだしていることを感謝いたします。
では、イエス様の「狭い門から入るように努めなさい」とのことばは、私たちには関係がない言葉でしょうか。決してそんなことはありません。私たちも、これからも救いの道を歩み続けるために、幾たびとなく道を選び取る時が来ます。
そのようなときに、安易に広い道を選択しないようにイエス様は注意しておられます。そのためにも、いつもみことばから教えられ、いつも祈ることを忘れてはなりません。
そのようにして、歩むべき道を選び取るとき、私たちは主に導かれて狭い門から入ることを選び取るようにされるのです。
その道の先には、あなたのための神の恵みの賜物が待っていることでしょう。あなたが常に、狭い門から入る道を選び取られますように願っています。
アーメン