2025年02月12日(水)

<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」

<聖書日課>ルカ5章27~32節「わたしについて来なさい」

レビはカペナウムの町の収税所で働く取税人でした。取税人は、人々から税金を集めてローマの国に納めるのが仕事です。でも多くの取税人は、人々から決められた以上に税金を集めて差額を着服していたのです。

ですからレビは金持ちでした。でも人々はレビをローマの国におもねる裏切者だとして嫌っていました。 それで、その時レビの心は空しさでいっぱいでした。レビは思っていたでしょう。

「人の人生は金がすべてだと思っていた。それで取税人になった。人から嫌われるのは分かっていた。嫌われてもいいと思っていた。私は裕福な生活がしたかった。金持ちになれば、欲しいものは手に入る。でも何か空しい」。

そのようなレビの思いを知って、イエス様は出て行き収税所の前に空しく座っているレビに声をかけられたのです。

わたしについて来なさい」。その時レビは、イエス様の名前を知っていたでしょう。イエス様は、各地で病人を癒し、不思議なわざも行われていました。

しかしレビは、自分の方からイエス様のところに出かける勇気はありませんでした。イエス様の周りには、いつも多くの人々が集まっていて、自分が近寄ると嫌がられるからです。

そのようなレビは、イエス様から見れば明らかに病人でした。レビはたましいが病んでいました。イエス様に近づこうとしない者は病人です。レビも「自分は罪人である」ことは分かっていました。

でも自分の方から、イエス様のところに近づく勇気がなかった。だからイエス様の方から声をかけられたのです。「わたしについて来なさい」と。

そのイエス様の一言でレビは癒されました。心のむなしさはなくなり、満足感がレビの心を満たしたのです。それでレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエス様に従ったのです。

ご存知のように、レビはマタイです。マタイの福音書を書いたマタイです。レビはすべてを捨てましたが、それにまさる豊かな恵み(永遠のいのち)を与えられたのです。

私たちの周りにも、何人ものレビがおられるのではないでしょうか。私たちは先に救われた者として、その方々に「イエス様に従いなさい」と語ることが期待されています。

そのためにも、私たちはまずレビのように、自分に与えられた豊かな恵みに感謝しなければなりません。

「わたしについて来なさい」。私たちは、このことばを自分自身に語られていることばとして、受けとめなければなりません。そのとき主は、あなたに更なる恵みを与えようとされています。

あなたのこれからの人生が、主に従う豊かな人生でありますように祈っております。

アーメン