
2025年01月29日(水)
<讃美歌>讃美歌451番「立てよつわもの」
<聖書日課>ルカ4章38~44節「日が沈む前に」
この箇所を読んで、私たちはここに二つのグループの人々を見い出します。福音に生きる人々と、依然として律法に縛られている人々です。
イエス様は、カペナウムの町の会堂で教えた後、シモン・ペテロの家に戻って来られました。ペテロの家は、イエス様のガリラヤ宣教の拠点となっていました。
ペテロの姑は、いつもその家でイエス様と弟子たちをもてなしていたのでしょう。その日も彼女は、イエス様をもてなすためにその家にいたのです。
でもその日、彼女は高熱に苦しんでおり、とてももてなせる状態ではありませんでした。それで彼女をよく知る者が、イエス様に「彼女を高熱から癒してください」と願ったのです。
その日は、会堂の礼拝から帰って来られたばかりなので安息日です。
でも人々は「イエス様は安息日の主である」(ルカ6章5節)ことを知っていました。それで、人々は安息日であっても、イエス様にペテロの姑を癒すことを願ったのです。
しかし一般の人々は、まだまだ律法に捕らわれていました。その人たちの家にも、病で苦しんでいる者が多くいたのです。
でも彼らは、苦しんでいる人々を日が沈むまで(安息日が終わるまで)連れて来れなかったのです。彼らは律法に縛られていたのです。
イエス様は、彼らが連れてきた病人たちをすべて癒されました。しかしながら、本当に癒されなければならないのは、日が沈むまで病人を連れて来れなかった人々です。
イエス様は、ペテロの姑を癒すことで、ご自分が律法にまさる方であることを教えられたのです。人は、律法によっては罪の病から癒されることはできません。律法を守り通すことができないからです。
だから、神はイエス様を<律法にまさる方>として私たちの所に遣わしてくださいました。
私たちは、イエス様のもとに近づくのに、日が沈むのを待っていてはいけません。イエス様は、私たちに「すぐにわたしのもとに来なさい」と言っておられます。
私たちは、何かと用事を作ってイエス様に近づくのをためらってはいないでしょうか。礼拝を守り、神に祈り、互いに愛し合う。それらはイエス様に近づくことです。
皆様方が、これからも<ためらわずに>イエス・キリストに近づかれますように祈っております。
アーメン