
2025年01月22日(水)
<讃美歌>讃美歌453番「栄えあれ、死に勝ちて」
<聖書日課>ルカ5章29~39節「古い教えと新しい教え」
イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに語っておられます。パリサイ人や律法学者たちは、古い保守的な考え方から一歩たりとも抜け出せないでもがいています。
彼らは、律法の教えを頑なに守り、それによって義と認められて天の御国へ入ろうとしていました。彼らの頭の中には、その考え方しかありませんでした。
ですから彼らから見れば、イエス様が取税人の家に入って一緒に食事をする(29節)ことはまったく考えられず、それこそ、罪を犯すことに他ならないと思っていたのです。
パリサイ人や律法学者たちは、罪人と呼ばれる者を身の回りから排除しようとしましたが、イエス様は、そのような者の中に入って行かれたのです。
パリサイ人たちは、神の目から見た時に、自分たちも取税人と同じような罪人であることが分からなかったのです。
ですから彼らは、律法を厳格に守り、頻繁に断食することによって神に近づこうとしますが、そのことによって、かえって神から離れることになったのです。
彼らの律法主義的な教えと、イエス様の福音の教えは相容れないものなのです。そのことをイエス様は、新しい布切れで古い衣に継ぎを当てるたとえと新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるたとえで語られました。
イエス様は言われます。「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません」(38節)。新しい皮袋とは、イエス様を信じてたましいが新しくされた人のことです。
別のことばを使えば<新しく生まれた人>です。イエス様の福音(新しいぶどう酒)は、新しく生まれた人でなければ受け入れられないのです。
イエス様の教えは、その当時の人々にはまったく新しい教えでした。人々は、「行いではなく、信じるだけで救われる」ことが理解できなかったのです。
私たちも、まだそのような性質が残っていないでしょうか。イエス様はここで、私たちに「あなたはまったく新しくなりなさい」と言われています。
それは、全面的にイエス様を信頼して、イエス様から恵みを受け取る生活です。そのように、まったくイエス様を信頼するとき、私たちは「古い教えから解放され」安心して喜びの生活を過ごすことができるのです。
アーメン