
2024年12月15日(日)
=あなたが悔い改めにふさわしい実を結ぶために=
<福音書>ルカ3章7~18節
ヨハネは、人々に「まむしの子孫たち」と呼びかけて三つの警告を発しています。
一つは、悪意と危険性です。まむしはその毒性や危険性の故に、神への偽善や不誠実を意味します。二つ目は、偽善の告発です。まむしの子孫とは、外見は敬虔そうに見えるが、心の中は腐敗している者を指します。
三つ目は、神のさばきに対する警告です。ヨハネは、人々に神の救いとさばきが近いことを強調して悔い改めを促したのです。ヨハネは救い主キリストに会うために「罪を悔い改め、それにふさわしい実を結べ」と言ったのです。
人は自分の心を見つめていても、罪の大きさに気がつきません。人は、神のまったき聖さに触れられて、初めて自分の罪の深刻さに気がつくのです。
確かに私たちは、自分は完璧な人間ではないことはよく分かっています。でも心のどこかで、「それ程悪いものでもない」と考えている。そのような身勝手な私の罪を赦すために、神はイエス様を十字架につけて血を流してくださった。
その神の愛を教えられた時、人は自分の罪の大きさを認め感謝せざるを得ない。神への感謝のない者が、悔い改めの実を結ぶことはありません。
信仰とは、あなたと神との個人的な関係であり、神はあなたに個人的に信仰の実を結ぶことを願っておられます。
神は、実を結ばない木を切り倒すことにおいて容赦されません。それで人々は、「私たちは、どうすればよいのでしょうか」と尋ねます。
ヨハネは群衆に言います。「貧しい人々を助けなさい」。取税人に言います。「決められた以上には、取り立ててはならない」。兵士たちに言います。「自分の給料で満足しなさい」と。
またヨハネは自分が不完全な者であることを知っていました。それで言います『私より力ある方は、‥聖霊と火で、バプテスマを授けられます』。
このヨハネのことばは、私たちに「あなたは不完全な信仰者であってはならない」との警告を与えます。完全なものは、聖霊によって取り分けられ、中身のない不完全なものは、火によって滅ぼされるのです。
ある説教者は「霊的にスポンジのようなキリスト者がいる」と嘆いています。そのようなキリスト者は、受けた恵みを自分の中にしまい込んでしまう。それは不完全な信仰です。
聖書の中には<生ける水の川>(ヨハネ7:38)という表現があります。受けた恵みが、その者の中で泉となり「人を生かす水の川」となってあふれ出てきます。
あなたが受けた恵みは、あなたを豊かにしますが、そればかりではなく、あなたから溢れ出て他の人の心をも豊かにするのです。
群衆はヨハネに言います、「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか」。その質問は、私たちの質問でもあります。
私たちに与えられた恵みが「人を生かす水の川」となってあふれ出るために、私たちは何をすればよいのでしょうか。
先ほどの説教者は「スポンジのようなキリスト者は、自分が受けたものが何であるかに気がつくまでしぼられなければならない」と指摘しています。
私たちもしぼられなければなりません。そのことこそ私たちが、完全なバプテスマを与えてくださった方を常に見続けることです。自分が受けた洗礼の恵みに常に立ち戻ることです。
そこに、私たちの信仰の原点があるからです。 そして信仰の原点に立ち続ける者が、人を生かす実を結ばせていただけるのです。