
2024年07月17日(水)
<讃美歌>讃美歌189番「主のみことばに」
<聖書日課>ルカ7章31~35節「知恵の正しさ」
イエス様が公にご自分を世にあらわされる前に、バプテスマのヨハネが来て、人々に「罪を悔い改めて、洗礼を受けるように」と叫びました。人々は、ヨハネを預言者だと認めていました。
しかしながら、パリサイ人や律法学者は、ヨハネが、パンも食べず、ぶどう酒も飲まないで、神に仕える者の生活をしていると「ヨハネは悪霊につかれている」と言い、人の子(イエス様)が、取税人や罪人と呼ばれている人を招くために、一緒に食事をしておられると「イエスは、取税人や罪人の仲間だ」と言って神のわざを認めようとはしません。
それは彼らが律法にしがみつき、神の愛のわざを見ようとしないからです。 しかし、そのような社会であっても、神の知恵の正しさは、神を信じる者によって必ず証明されるのです。
そのような社会状況は、21世紀の今の時代も同じです。 私たちが、毎週の礼拝を守り、祈りを大切にしていると「あなたは、何でそんなに熱心になるの」と言われ、また私たちが、知り合いを教会に誘うと「私はイエス・キリストを信じるつもりはない」と反発されます。
それでもあなたが、聖霊に励まされながら、信仰者の正しい生活を続け、周りの方々にキリストの福音を語り続ける時なら、神はあなたとともに働いて下さり、一人また一人と、イエス・キリストを信じる者を起こしてくださいます。
神は、そのようなあなたを通して、ご自身の栄光を現してくださるのです。それが、神の知恵の正しさです。
かつては、私たち自身も神を無視する者、イエス・キリストを否定する者でした。そのような私をたちは、神の知恵により、主を信じる誰かの愛と忍耐のわざをとおして救われました。
今は、私たちが神の愛と忍耐を働かせ、主に仕える時です。
『涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。 種入れを抱え 泣きながら出て行く者は、束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。』(詩篇126篇5, 6節)
これからも八鹿教会の一人ひとりは、遣わされた所で、<神の知恵の正しさ>を証明する者として主に仕えさせていただきましょう。 アーメン