
2024年07月21日(日)
=あなたが神と一つにされるために=
<使徒書>エペソ2章11~22節
ユダヤ人から見れば、エペソの人々は異邦人であり、神との契約のしるしのない軽蔑すべき者です。ですからユダヤ人と異邦人は、水と油であり、決して一つとなり得ない存在でした。
それでパウロは異邦人の置かれている状況を<5つのそのころ>と言って記しています。
第一は、エペソの人々が「キリストから遠く離れていたそのころ」です。エペソの人々は、キリストとは無関係な者だったのです。
二つ目は、エペソの人々が「イスラエルの民から除外されていた時」です。キリストの祝福の外に置かれていたのです。
三つ目は、「約束の契約については他国人であった時」です。約束とは、救い主を世に遣わすとの約束です。エペソの人々は神の契約の対象外だったのです。
四つ目は、「この世にあって望みもなかった時」です。人は、イエス・キリストへの信仰がなければ、永遠のいのちの望みはないのです。
最後は、エペソの人々が「神もない者であったそのころ」です。エペソの人々は、アルテミスという偶像を拝む人たちであり、虚しさの中に生きていたのです。
また、彼らは自分たちが虚しさの中に生きていることを知りませんでした。世の虚しさは、キリストによって、そこから救い出されて初めて分かるのです。
さてパウロはこの手紙で、ユダヤ人と異邦人が一致することを強調しています。
ユダヤ人と異邦人とは、救いという枠の中で見れば<水と油>であり一つになることはありませんが、イエス・キリストが来られた時、水と油は一つとされたのです。ただし、キリストの血という大きな代償が支払われたことを忘れてはなりません。
またイエス・キリストはご自分を信じる者を=ユダヤ人も異邦人も=<キリストを信じる者>という新しい一人の人に造り変えて、両者の間に平和を確立されました。
イエス・キリストの十字架の血によって、水と油であった神と人が一つにされる道が開かれたのです。キリストは、水と油であったユダヤ人と異邦人を、新しい一人の人に造り上げられました。
その霊的な創造によって、憎しみあっている世のユダヤ人と異邦人は、新しい人として作り変えられ、互いの心から敵意が取り去られるのです。そこに主にある平和が実現します。
私たちも個性が強く、水と油の性質を持っています。私たちも、神と和解させられ新しい人として作り変えられ一つとされるのです。
またパウロは18節で「人は、父なる神に近づかなければならない」と言って、神に近づくための二つの道を示しました。
一つは、「キリストを通して」です。これは、キリストの十字架の贖いです。キリストの十字架を通らなければ、人は神に近づくことはできません。
もう一つは、「御霊によって」です。それは “聖霊”です。人は、キリストの十字架の贖いによって罪のない者とされ、聖霊によって「何が正しいのか」を教えられて神に近づく者とされるのです。
なぜ私たちは、神に近づかなければならないのか。それは、神と私たちが一つとされるためにです。神は、私の心を<神の御住まい>とされることで、私と一つとなってくださいます。なぜ人は神と一つにならなければならないのか。
「神が望まれたからです。」
人は、永遠の滅びの恐ろしさ、永遠のいのちのすばらしさを知りません。だから神はあなたを選び、あなたと一緒に住みたいと願われた。それは、神の一方的な愛の現われです。
いま神は、あなたの心のもっと奥深くに住みたいと願っておられます。あなたともっと強く一つとなりたいと願っておられる。
主はそのように願う者をますますキリストに似る者として作り変えてくださいます。それが<神の御住まい>としてのキリスト者に与えられる神からの祝福なのです。