
2024年06月26日(水)
<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」
<聖書日課>マルコ6章45~52節「頑なな心」
もちろんここで言われている「頑なな心」とは、信仰において頑なな心のことです。それは、イエス様がどのような方であるのかを理解しない心です。
弟子たちは、イエス様が湖の上を歩いて近づいて来られるのを見て、幽霊だと勘違いして恐れました。弟子たちは、イエス様が湖の上を歩くことはまったく考えられなかったのです。
そのため52節で「彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていた」と書かれています。
パンのこととは、5,000人の給食の奇跡のことです。それは、イエス様が神の力を持っておられることを示す偉大な奇跡でした。
弟子たちは、パンの奇跡で、イエス様が神であることを悟るべきだったのです。『神にとって不可能なことは何もありません』(ルカ1章37節)
弟子たちは、パンの奇跡によっても、イエス様の本質を見ることができなかったのです。
イエス様はそれを教えるために、パンの奇跡に続いて、水の上を歩く奇跡を弟子たちに見せられたのです。 イエス様に従う者は、イエス様がどなたであるかを徹底的に教えられる必要があります。
私たちは、イエス様が神であり、私の罪を贖ってくださった救い主キリストであることをハッキリと知っているでしょうか。
ハッキリと知っているとは、「いついかなる状況においても、その信仰から離れない」ということです。
弟子たちは、水の上を歩く方がイエス様だと分かった時、イエス様を黙って舟に迎え入れれば良かったのです。イエス様が、すべてを支配しておられる神であることに、再度、確信すればよかったのです。
この時、弟子たちのイエス様を信じない頑なな心が恐れを生じたのです。イエス様は言われます。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と。
あなたが、イエス様をしっかりと見続けるなら、あなたは真の平安に包まれるのです。
私たちが、これからもどんな状況にあっても、正しくイエス様に従う者とされるために、今日まで導いてくださったイエス・キリストを、更にしっかりと見続ける者とされましょう。
その時、あなたの心から恐れがなくなるのです。
アーメン