
2024年05月12日(日)
=あなたが教えられ易い器となるために=
<福音書>ヨハネの福音書17章6~19節
弟子の第一の仕事は、イエス・キリストを知ることです。 私たちはイエス様の祈りから、イエス様の弟子について教えられます。
イエス様の弟子とは、①父なる神が世から選び出し、イエス様に与えられた者です。 ②イエス様のことばを神のことばとして信じる者です。 ③イエス様が、神のもとから来られた方であることを知っている者です。
イエス様は、人がご自分のわざや教えに納得することを求めておられません。信じることを求めておられるのです。
その根拠は、イエス様ご自身が、全知全能の神から遣わされた者であり、神ご自身でもあるという事実です。
さてイエス様が、弟子たちのために、神に助けを求める根拠とされていることが二つあります。
一つは、イエス様の弟子たちは、もともとは神のものであり、その彼らを神がイエス様に下さったからです。
もう一つは、10節で『わたしは彼らによって栄光を受けました』と言われていることです。イエス様が弟子たちによって栄光を受けられたことは、父なる神が栄光を受けられたことにもなるのです。
だからイエス様は、「弟子たちを助けてください」と願われる。
そしてもう一つ、私たちが忘れてはならないことは、イエス様はこの祈りを、私たちのためにも祈っておられるとの事実です。 私たちは、イエス様の祈りの中で三つのことばに注目しなければなりません。
一つは11節の『わたしたちと同じように、彼らが一つとなるためです』と祈られたことばです。この祈りのことばの“彼ら”とは、 “教会”と置き換えられます。ここでイエス様は「教会が一つとなるためです」と祈っておられる。
確かに私たちは互いにクリスチャンであっても、一人ひとり別々の人格であり考え方も違います。
それで私たちは、神とイエス様のような完全な一致に達することはできないのかもしれません。
でも同じ信仰者として、祈りの課題をともに祈り合うことが出きます。ともに祈り合う時に教会は一つとされていくのです。
二つ目に注目することは13節の『わたしたちの喜びが彼らの内に満ちあふれるためです』のことばです。弟子たちの内に喜びが満ち溢れるとは、教会が喜びで満たされることです。
教会は特別な目的と使命のために、神によって創造された社会です。それゆえ教会は、神とイエス様が一つであるのと同じように、そこに集う弟子たちが一つとされた時に喜びで満たされるのです。
私たちは「互いに愛し合うこと」によって、互いの一致を深めるのです。
三つ目は、17節『真理によって彼らを聖別してください』です。聖別とは、世の悪から聖く保たれることです。
世の慣習にどっぷりと浸かってしまえば、福音を伝えることはできません。世と区別されているからこそ、世に向かって福音を語ることができるのです。
それで、私たちを聖く保つものが、真理である神のことばです。
教会の存在理由は、イエス様によってもたらされた神の啓示をこの世に伝え、十字架のイエス様によって現わされた自己犠牲の愛を世に反映することです。
そうすることによって、神の力はこの世の悪の勢力に決定的な勝利を得ることができるのです。そのようにして世に神の力が広げられる時に、それに関わった教会の内に喜びが満ち溢れるのです。
そのために教会に集う一人ひとりは、主にあって一つとなり、互いに愛し合って自らの内に喜びを溢れさせていただき、神のことばによって聖く保たれるのです。
そのことは、私たちのために最大限の愛を示してくださったイエス・キリストを知ることに他ならないのです。キリストの弟子は、キリストを学ぶ者です。