
=あなたが神の有用な弟子となるために=
<福音書>マタイ9章35節~10章8節
イエス様の宣教方法は、人に関心を持ち、あわれみ、みことばを伝えることです。それは福音宣教の基本です。そして教会がなすべき事も、イエス様に倣い、イエス様が行われたことを繰り返すことです。
イエス様はガリラヤの町や村を巡られ、そこでご覧になったのが、羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている人々の姿です。
人々を養う責任を持っていたのは、祭司やパリサイ人です。彼らは、律法を守ることばかりを強調しました。
律法を守っても魂のやすらぎは得られません。律法はあなたに罪を教えるからです。それで人々の魂は倒れてしまった。
私たちは、神のみことばによって養われる羊です。もし、教会で神のことばが語られなければ、羊の魂は疲れ切ってしまう。
もし羊がみことばを慕い求めなければ、羊は神の前から迷い出てしまう。何と多くの人々が、神のみことばを求めず、神の前から迷い出て倒れていることか。
そのためイエス様は、弟子たちに『収穫は多いが、働き手が少ない』と言われる。ご自分が獲得すべき収穫のための働き手が少ないのです。
ここでイエス様は、『収穫の主に、祈りなさい』と言われます。イエス様は、あなたの祈りを求めておられます。まことに、主のための働き人を起こすことができるのは神だけです。
イエス様は、私たちに二つのことを問いかけておられます。
一つは「あなたは、働き手が起こされるために祈っているか」です。祈りは宣教の原点です。私たちは、働き手のために祈り続けなければなりません。
もう一つは「あなたは、働き手として示された時に、素直に応じますか」です。神の恵みは「主よ、私をお用いください」と祈る者の上に注がれるのです。
あなたの目には、回りの人々の弱り果て倒れそうな姿が見えませんか。
福音宣教は、イエス様がなされたことの繰り返しであり、あなたがイエス・キリストと同じ目を持つことから始まります。
主は、救い主を知らず倒れそうになっている人々の姿を見る目を持つ者を神の働き手とされます。そのようなあなたに、神は「天の御国が近づいた」と宣べ伝えさせてくださるのです。
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