
<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」
<聖書日課>マタイ20章17~28節「しもべに徹する」
人は「他の人よりも偉くなりたい」との思いを持っています。それで、いろいろな場面で摩擦が起きるのです。そのことについては、12弟子たちも決して例外ではありませんでした。
イエス様がこれからエルサレムへ上ろうとしておられた時、それは、十字架に向かって進んでいこうと決意された時です。 そのような時ですら、弟子たちは自分の欲望を満たそうとしていたのです。
ゼベダイの二人の息子とは、ヤコブとヨハネです。この二人が母親と一緒にイエス様の処にやって来て、「あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわらせて欲しい」と願ったのです。
イエス様の右と左にすわることは、天の御国で最高の地位に就くことです。
ヤコブとヨハネは、イエス様が十字架につけられて死に、三日目によみがえることを言われた後に、そのことを願っています。
彼らは、おそらく主の再臨が近いと思い、焦ってお願いしたのでしょう。ちょっと図々しい願いです。
ヤコブとヨハネのことを図々しいと思ったのは、他の弟子たちも同じでした。 他の弟子たちも、彼らのことで怒ったからです。他の弟子たちも、ヤコブ/ヨハネと同じ思いを持っていたのです。
そのような弟子たちにイエス様は言われます。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい」と。
”しもべ”とは、奴隷のことです。 イエス様は弟子たちに、「あなたがたは、徹底的に謙虚な者になりなさい」と言われています。
これからイエス様は、十字架につくためにエルサレムへ向かおうとされています。すべての人の罪を贖うために、神である方が十字架で死のうとされているのです。
その姿に、私たちはイエス様の徹底的に謙虚な姿勢を見ます。
私のために、イエス様が徹底的に謙虚になってくださったので、私たちは、イエス様を通して神の愛を見い出すのです。
同じように、私たちが互いに謙虚な姿勢で仕え合うときに、私たちを通して神の愛が広がるのです。
私たちはイエス様に倣う者として、主の前に<しもべに徹する者>とさせていただきましょう。その時、あなたを通してイエス・キリストの福音が広がっていくのです。
アーメン
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