=聖霊の恵みを豊かに受けるために=

<使徒書>使徒の働き2章14a, 36~41節

ペテロは、人々に確信をもって語ります。『神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです』。

そのペテロは、私たちにも語りかけています。何故なら、あなたの罪を赦すために、キリストは十字架で血を流されたからです。

キリストの十字架の意味が真に明らかにされるとき、人は自らの罪の大きさに気づき、良心がさいなまれ、主のみ前に膝まづかざるを得ません。

ペテロは言います『悔い改めなさい』。「悔い改める」とは、心の方向転換です。それでペテロは言います『罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい』。

罪の赦しとは、人の側には赦していただける何の理由もないのに罪を赦してもらうことです。それはまったく神の側の行為です。

また、人の心に罪の悔い改めの思いを起こさせるのは聖霊のわざです。聖霊は、神から与えられるものです。

ペテロは、罪を悔い改めイエス・キリストの名によって洗礼を受ける者は、必ず聖霊を受けると言います。なぜなら、それは神の無条件の約束だから。

聖霊は、人にとって与えられても与えられなくてもどちらでも良いものではありません。与えられなくてはならないものです。それもできるだけ早く。

聖霊は人を作り変えます。イエス・キリストに似た者と作り変えます

ペテロは集まってきた人々に、「潤いを心にもたらす神の聖霊の賜物を、あなたがたは受けるでしょう」と語っています。それも、ペテロの約束ではなく神の約束です。

ペテロは、ただ自分がイエス・キリストについて知っていること、イエス様から聞いた話、見てきた多くの奇蹟について、力を込めて断言したのです。

ペテロは言います。「あなたがたは、この曲がった時代から救われなさい」と。

曲がった時代とは“不義な時代”のことです。

人は、自分の生き方を評価するのは神であることを知らなければなりません。

だからペテロは、「神の前に悔い改めなさい。神の前に罪が赦されたことを信じなさい。イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」と断言するのです。

人は、聖霊が与えられることによって、イエス・キリストを証しする者と変えられます。それも、神の約束です。そのようなあなたを通して福音の枝が広がるのです。

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