
=神に委ねる信仰生活を守るために=
<福音書>マタイ27章11~54節
イエス様は、ユダヤ人たちが十字架につけて殺すために訴えた時も、ただ「静かに、すべてを、神に」委ねられました。
ピラトの「あなたは、ユダヤ人の王ですか」との質問にイエス様は「そのとおりです」と答えられました。
イエス様は、この世のどこかの国の王ではなく神の国(霊的な王国)の王です。それでイエス様は「そのとおりです」と答えられたのです。
しかし、祭司長や長老たちの訴えには一切お答えになりませんでした。彼らの訴えは、偽証によるものだからです。
イエス様は、正しい質問には正しく答えられますが、うその証言には毅然とした沈黙を守られました。この時イエス様は<静かに、すべてを、神に>委ねられたのです。
このイエス様の<静かに、すべてを、神に>委ねる姿勢。それはクリスチャンの基本的な姿勢です。
たとい状況は好ましいものではなくても、静かに祈って、すべてを神に委ねる。そこでは、神への強い信頼が求められます。
「静かに、すべてを、神に」委ねることは、勇気ある信仰のわざです。
主は、イエス様を信じれば「人生万事安泰だ」とは言われませんでした。神は、信仰者に与える恵みのリストから“苦しみ”を除外されませんでした。
しかし勇気をもって、すべてを神に委ねる人生には、その者でしか分からない喜びがあります。ピラトは、その喜びをつかみそこなった。
ピラトにはイエス様を釈放する権限があった。しかし彼は、暴動になって自分が責任を問われることを恐れ、まさしく神の前で自分の責任を放棄した。
ピラトは、「静かに、すべてを、神に」委ねる勇気を持ち合わせていなかった。
しかし、イエス様の本当の苦しみはそれからでした。・着物を脱がされ、緋色の上着を着せられた。・いばらの冠をかぶせられた。・つばきをかけられ、葦の棒で頭をたたかれた。
イエス様は、あざけりのことばを聞きながら、心の中で叫ばれたでしょう。
「わたしが十字架から降りたら、お前たちの罪はどうなるのか。お前たちのいのちはどうなるのか。お前たちには滅びしか残らないではないか」と。
そのためイエス様は「静かに、すべてを、神に」委ねられたのです。私たちも、そのことを<主の模範>としてこれからの信仰生活を過ごしましょう。
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