
=あなたがイエス・キリストを信頼し続けるために=
<福音書>マタイ4章1~11節
イエス様の断食の後すぐに“試みる者”が近づいて来ました。『あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい』。
悪魔は、まず肉体的な欲求を満足させてはどうかと誘ったのです。イエス様はみことばで応えられました。『人はパンだけ生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(申命記8:3)
人には魂(霊)があり、魂を養うためには、神のことばによらなければならないのです。パンだけを食する生活には<死の予感>があります。
神のことばによって魂を養う生活には<永遠のいのちの確信>があるのです。 私たちが、まず食べるべきは<魂を養うパン>です。
次に悪魔は、イエス様を神殿のてっぺんで誘惑しました。「身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、‥あなたの足が石に打ち当たらないようにされる』と。(詩篇91:11, 12)
イエス様は、みことばで答えられます。『あなたの神である主を試みてはならない』。
神がともにいて守ってくださるかどうかは、不敬虔な試みによって確かめられる性質のものではありません。神の守りは、信頼と従順を通して見い出され、体験されるべきものです
。イエス様は「主を試みてはならない」とのことばで「あなたの神、主に信頼して歩みなさい」と命じておられるのです。
次に悪魔はイエス様に、この世のすべての繁栄を見せて言います。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」。
これは、イエス様が苦難のしもべの道を歩めなくして、神のご計画を反故にする誘惑です。そこにサタンの狙いがあるのです。イエス様は叫ばれます。『引き下がれ、サタン』と。
イエス様を誘惑することに失敗したサタンは、次は私たちを誘惑しようとします。
誘惑の目的は、人を神から/イエス・キリストから引き離すことです。
人の生き方は二者択一です。神である主にすべてを委ねて生きるか、それとも悪魔と手を結ぶかです。 私たちの中の誰一人として悪魔の誘惑に一度も負けたことのない者はおりません。
しかし、イエス様が悪魔の誘惑に勝ってくださったので、私たちはイエス様にすべてを委ねて歩むことができるのです。
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