
=信仰者として証の生活に生きるために=
<福音書>ルカの福音書21章5~19節
イエス様は「惑わされないように気をつけなさい」と言われます。人はいろいろなものに惑わされ、心を揺すぶられながら生きています。人は何故、惑わされるのでしょうか。
イエス様から目をそらし、人間のわざに心が奪われるからです。再臨が近づいたと言って右往左往しても、そこに信仰者の姿は見えてきません。
信じるということは、人のわざが空しいことを知りつつ、イエス・キリストに目を止めることです。たといエルサレム神殿が崩されても、神の救いのわざが崩されることはありません。
人はイエス・キリストから目をそらした時、自分の上に働く神の愛のわざが見えなくなります。そこで信仰者に求められるのが、正しいものを見る目と忍耐する力です。
私たちは、裁きの場に引きずり出されると恐れます。しかし、イエス様はその時は私たちの信仰を証しする良い機会だと言われる。イエス様は人に信仰を求められます。
私たちも人から信仰について問われることがあります。その時、知恵と忍耐をもって対応することが必要です。忍耐とは「耐え忍ぶこと」です。
耐え忍ぶことは、聖書の中でしばしば教えられている信仰者の道です。まさに主に期待して耐え忍ぶことは、キリスト者が真実に信仰に生きるために心得るべき鍵なのです。
また信仰者には<愛>も求められますが、愛に生きるために、私たちは耐え忍ぶことが求められるのです。 忍耐とは、神の守りの中にあることを信じて平安の内にそこに留まることです。
忍耐には、いつも神への信頼が伴います。また忍耐には“喜び”が伴います。 忍耐の内にある喜びは、そこに神がおられることが分かる喜びです。
困難なことを通して、神が私を祝福しようとされていることが分かる。そこに、耐え忍ぶ力が起こされ、喜びが与えられるのです。
イエス様は「忍耐によって、自分のいのちを勝ち取りなさい」と言われます。永遠のいのちとは、イエス・キリストにより頼むときに与えられるものです。
そして、イエス・キリストに頼り切ることこそが、私たちが<イエスの名に生きる>ことです。
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