
<讃美歌>讃美歌307番「まぶねの中に」
<聖書日課>ルカ1章46~56節「キリスト者の賛歌」
この箇所は<マリヤの賛歌>としてよく知られているすばらしい賛美です。マリヤは御使いガブリエルによって、神の力によって救い主を産むことを告げられました。
マリヤは信仰によって「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えますが、やはり不安も覚えたでしょう。
そのマリヤの不安を確信に変えるために、神様は親類の中にエリサベツの妊娠を備えられました。
エリサベツは、マリヤとは対照的に不妊の女性でした。夫ザカリヤとの間に子どもが与えられず、一般的には、子どもを産むにはもう年を取り過ぎています。エリサベツはバプテスマのヨハネを産みます。
神様のご計画は完璧です。エリサベツの妊娠は、イザヤ書40章の預言「荒野で呼ばわる者の声」を成就することとなり、同時にマリヤの不安を完全に取り除くものでした。
マリヤはエリサベツを訪問して、彼女の妊娠のいきさつを聞き、自身の身に起こるかもしれない様々な不安を取り除かれ、神様へのまったき信頼を持って、この賛歌を歌ったのです。
私たちは、このマリヤの賛歌から次のことを教えられます。
・マリヤは、まず神様を賛美しています。「わがたましいは主をあがめ、‥神を喜びたたえます。」
・マリヤは、神様の前に謙虚な者でした。「主はこの卑しいはしために目をとめてくださった。」
・マリヤは、神様の恵みを確信しました。「力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」
・マリヤは、自分が産む子が聖書に預言された救い主(キリスト)であることを信じました。
「主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっているいる者を追い散らし、‥ 低い者を高く引き上げ、‥イスラエルをお助けになりました。」
このマリヤの賛歌は、私たちクリスチャンの信仰生活の手本です。
・私は、何事においても神様を賛美しているだろうか。私は、神様によって創造され生かされているからです。
・私は、神様の前に謙虚な者だろうか。私は、神様の全能の力を知るべき存在だからです。
・私は、神様の恵みを確信しているだろうか。私は、これまでも神様から多くの恵みを与えられてきたからです。
・私は、イエス様をキリストとして100%信じているだろうか。私は、天国の希望を望んでいるからです。
私たちが、そのような信仰生活を過ごすとき、神様はますます恵みの上に恵みを増し加えてくださいます。
私たちは、そのことを再確認させられる時に、神様は私たちをも、神様への賛歌を歌う者と変えてくださいます。それが、クリスチャンが歌う<キリスト者の賛歌>です。
アーメン
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