
<讃美歌>讃美歌71番「とうとき主イエスの」
<聖書日課>ヨハネ13章21~32節「ユダにはなるまい」
イエス様は最後の晩餐を守るために、ある家の二階の広間に弟子たちとともにおられます。弟子たちとはこれまでの約3年間、苦楽をともにして来られました。
そこでイエス様は、まず弟子たちの足を洗い「あなたがたも互いに愛し合いなさい」と身をもって教えられました。
その後イエス様は「わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです」(20節)と言って、これから弟子たちがイエス様によって全世界に派遣されることを宣言されました。
その時イエス様は、これから遣わそうとされている弟子たちの中に裏切者が混じっていることを悲しまれました。
21節には「イエスは、‥霊の激動を感じ、」とあります。イエス様は、ユダがご自分を裏切る者となることを大きな苦痛をもって悲しまれたのです。
ユダは、イエス様とともに福音を各地に伝えていた時、イエス様の説教を聞き、不思議なわざを見てきました。
それらの一つ一つは ”イエスは誰か” を明確に示すものでした。それでもユダは、主を裏切る者となったのです。
27節に「そのとき、サタンが彼に入った」とあります。人はイエス・キリストから目をそらしたとき、サタンに隙を与えるのです。
私たちはイエス様を悲しませていることはないでしょうか?
かつて私たちは、イエス様を知りませんでした。しかし、今の私たちはイエス様が私たちに大いなる事をなしてくださった事を知っています。
私たちは、その主イエス・キリストの愛を忘れてはなりません。
聖歌433番「弟子となしたまえ」の4節に『ユダにはなるまじ‥』との歌詞があります。
『ユダにはなるまじ‥』とは、私はこれからイエス・キリストに誠実に従いますとの裏返しの表現です。
今週は受難週です。イエス様が私のために、十字架でどれほど苦しんでくださったかを常に覚えながら過ごしましょう。
その時、私たちは決してユダになることはありません。
そのように過ごす時、イエス様はあなたをご自身の栄光を現すために用いてくださいます。
アーメン
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