
=あなたが信仰の原点に立ち戻るために=
<旧約聖書>創世記15章1~12,17~18節
人は新しいことを始めるとき恐れを感じます。アブラムを不安にさせたのは、息子が与えられないことでした。神様は、アブラムに「あなたの子孫を大いに増やす」と約束されました。
アブラムは80歳を過ぎ妻サライも70歳を過ぎていますが、子どもが与えられない。でも、彼の恐れは神様が約束を反故にされるという恐れではありません。
アブラムの信仰の底辺には“神様への絶対の信頼”が流れています。
人は自分の思い通りに事が進まないとき、神様の恵みを忘れ疑いの心を持ち始めます。
神様は、イスラエルの民を「うなじのこわい民だ」と言われましたが、私たちもそのような者ではないでしょうか。問題に直面した時は教会に来るけれど、問題がなくなればすぐ来なくなる。
さて、アブラムの心には葛藤がありました。神は「あなたの受ける報いは大きい」と言われる。でも、その報いが見えない。神様は彼の葛藤をよくご存じでした。
神様は、ご自分に従う者に最上の信仰を求められます。それで神様は、アブラム夜空の星を見させて言われました。「あなたの子孫はこのようになる」と。
アブラムは、その神様のことばを信じました。“信じる”とは、神である主と、そのみことばへの無条件の信頼です。その信仰を、神様は<彼の義>と認められました。
義と認められるとは、その者が正しい人になることではなく、「神様との間において、本来あるべき関係にある」ということです。
神様は不安を抱くアブラムに契約を結ばれました。動物を切り裂き、互いに向かい合わせに置くことは当時の契約の儀式です。当事者が裂かれた動物の間を通り契約が成立します。
神の臨在の象徴が、切り裂かれた動物の間を通ったのです。この契約では、人間の側の完全な受け身の態度のまま進められました。
また、この契約の裂かれた動物は、十字架で裂かれたイエス・キリストを思い浮かばせます。十字架の契約も、人間の側の完全な受け身の状態で進められたのです。
私たちに求められるは、罪からの救い主としてイエス・キリストを信じることだけです。そして、そのような者に天の御国への道が広がるのです。
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