=キリストを常に見上げるために=

<福音書>マルコの福音書13110節、へブル書101025

弟子の一人が神殿を見て「なんとみごとな石でしょう」と言い、そのことばにイエス様は「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません」と答えられています。

これは「神殿が徹底的に破壊される日が来る」と言われたのです。

そこでイエス様は「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われます。

<惑わす>とは<横道にそれさせる>ことです。イエス様は「脇道へ誘い込まれないように気をつけなさい」と言っておられる。<気をつける>とは、本来は<見る>ことです。

人は、間違ったものを見ることによって惑わされますが、本来の道を歩み続けるためには正しいものを見続ける必要があります

建物だけを見ていては惑わされる、見るべきものは他にあるのです。

エルサレム神殿は、神と人との旧い契約の象徴です。

その旧約の象徴である神殿が「石がくずされずに、積まれたまま残ることはない」と主は言われるのです。旧い契約が完全に廃棄されるのです。

どのように廃棄されるのでしょうか。イエス・キリストのゆえに神様に感謝します。

イエス様の贖いの死を、自分の罪のためだと感謝して受け止める時、人は“義”とされます。それが新しい契約(新約)です。

弟子たちは、神殿の荘厳さを見て感動していますが、イエス様の目には、旧い契約象徴である神殿が完全に崩れ去り、そこに新しい契約の十字架を見ておられたのです。

人は、自分の目で何を見るかによって確信もするし、惑わされもします。

私たちが見るべきもの。それはイエス・キリスト以外にはありません。

主は、あなた自身が、積極的に福音を宣べ伝えることは望んではおられません。

主は、ただ主ご自身があなたを通して、福音を宣べ伝えたいと望んでおられるのです。

主は、福音宣教のために惑わされている者を用いることはできないのです。

惑わされないように気を付ける。それは、あなたがイエス・キリストを見続けることに他なりません。

その時、主はあなたとともに働いてくださいます。

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