
=あなたがより主に信頼し続けるために=
<福音書>マルコの福音書10章35~45節
ヤコブとヨハネの兄弟はイエス様に『あなたの栄光の座で、ひとりを右に、ひとりを左にすわらせ欲しい』と願いました。身勝手な願いです。
彼らは漁師でした。イエス様から「わたしについて来なさい」と呼ばれると、何もかも捨てて従ったのです。でも、過去における献身は、現在の信仰状態の保証とはなりません。
イエス様に従う者は、日々自分を捨てることが必要になります。
人は、自分のことに夢中になっている時に神に従うことはできません。
ヤコブとヨハネがすべきことは、イエス様が飲もうとされている“杯”を飲むことでした。それは<苦難の杯>であり<怒りの杯>です。
今、イエス様は<神の憤りの杯>である十字架の苦しみを飲み干すために、エルサレムへと向かわれています。それでイエス様は弟子たちに「わたしの杯を飲みなさい」と言われる。
そこにしか弟子の道はないからです。
弟子に必要なのは、どのようなときも主に従い、主に仕えることです。
そのことばは、私たちにも向けられています。
私たちに求められる弟子の道。それは、私たちがイエス様に信頼して<主の杯を飲み続ける>ことです。私たちが、世の中で弟子の道を歩むとき様々な困難に出会います。
それでも、イエス様に信頼して、差し出された杯を飲むときに、次に歩み出すべき弟子の道が見えてくるのです。弟子の道は、イエス・キリストが歩まれた<愛の道>です。
神様はイエス様の十字架により“永遠の滅び”から私たちを解放してくださった。ここに<神の愛>がある。主が歩んでくださった<愛の道>がある。
主は言われます。『みなに仕える者になりなさい』。 何故か。そこにしか愛はないからです。
もし私たちが、真実に偉大な者となろうとするなら、主の前に自分を小さくして、人に仕える喜びを知らなければなりません。
愛することは耐え難いことを耐えることです。しかし、それが喜んでできるようにされるのです。主がともにおられるからです。
主に信頼して<イエスの杯を飲み>、主の愛の中に生きるとき、あなたが飲んだ<苦しみの杯>が<愛の杯>に変えられます。
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