<讃美歌>讃美歌245番「神のみことばは」 

<聖書日課>ルカ16章19~31節「神の国でのどんでん返し」

人は目先のことに捕らわれがちです。目先の幸福(楽な暮らし)を求めて、永遠の安息には盲目になりがちです。今日の箇所は、「金持ちとラザロ」のたとえ話としてよく知られています。

私たちはこの箇所から、「人が求めなければならない本当に価値あるもの」とは何かを教えられます。

金持ちは、門のある大きな家に住み、贅沢な暮らしをしていました。紫の衣や細布はぜいたく品です。そのような衣服を着ていては、働くこともできません。金持ちは遊び暮らしていました。

そのことは、この金持ちが神様とは関係ない生活を続けていたことを意味しています。そのような生活を続けているために、金持ちは自分の門前にいるラザロを気にかけることがなかったのです。

さてラザロは死んで誰にも葬られることなく、神のみ使いたちによってアブラハムのふところ(天の御国)へと連れていかれました。

金持ちも死にました。多くの人に葬られましたが、神のみ使いが彼のたましいを連れに来ることはありませんでした。金持ちはハデス(地獄)へと落ちて行ったのです。

このイエス様のたとえ話は、死後の世界を教えるためのものではなく、どんでん返しのたとえ話です。

人は、この世において贅沢な暮らしを追い求めます。贅沢な暮らし自体は悪ではありませんが、贅沢を追い求めるあまり、神様をおろそかにするようなことがあってはなりません。

この金持ちは、死んでハデスに落とされて初めてそのことに気が付きました。

それで、「ラザロをまだ生きている兄弟のところへ送って、ハデスに落ちないように言い聞かせて欲しい」と願っているのです。

しかしアブラハム(神様)は答えます。「彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです」と。“モーセと預言者” とは、旧約聖書のことです。

イエス様は言われています。「聖書のみことばに聞き従おうとしない者は、人がよみがえってもその教えを聞き入れない」と。

事実、当時の人たちは、マルタとマリヤの兄弟ラザロが生き返っても、そのラザロを殺そうとしました。(ヨハネ12章10節)

イエス様ご自身が復活されても、信じようとしませんでした。

21世紀を生きる私たちには、旧約聖書のほかに新約聖書まで与えられています。

たといこの世でどんなに成功しても、聖書のみことばに聞こうとしない者は、後の世において大どんでん返しを受けるのです。

私たちは、聖書のことばを信じる者として、天の御国が約束されていることを感謝しますが、私たちの周りには、「ハデスに落とされることなく、天の御国に入ってほしい」方々が何人もおられます。

神様は、私たちをそのような方々のもとへ遣わしてはおられないでしょうか。

先に救われたものとして、私たちは主の証人として、「神の国のどんでん返し」を伝え、人々を神様のもとへと導かせていただきましょう。

アーメン

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