<讃美歌>讃美歌285番「シオンよ、いそぎ伝えよ」

<聖書日課>ヨハネ15章16~25節「キリスト者の武器は ”愛”」

今日の箇所は、13章から続くイエス様の惜別説教の中で12弟子たちに語られたことばです。

ここでイエス様は、はっきりとイエス様ご自身が弟子たちを選び任命されたことを告げられました。

それはそのまま、私たちにも当てはまります。私たちも一人ひとり主によって導かれ、イエス様の弟子となったのです。

私たちがイエス様の弟子となった目的は二つあります。

  • 一つは、私たちが世に出かけて行って主のために身を結ぶことです。
  • もう一つは、私たちがイエス様の名によって、父なる神様に求めるものをすべて受け取るためにです。

そしてそのために「あなたがたは互いに愛し合いなさい」と言われています。

私たちが世に出て行って福音を宣べ伝えようとするとき、そこには必ず反発があります。

それは、イエス様が世から憎まれたからです。イエス様をも憎んだ世が、私たちにも反発しないはずはありません。

そのことを私たちは自分の経験としても知っています。

私たちはいたる所で福音を宣べ伝えようと致します。その時、必ずと言ってよいほど反発や無理解に会ったのではないでしょうか。

家族に反発され、友人に反発され、親戚の者に反発され、ご近所の方々に反発される。

反発ならまだましかもしれません、イエス様ははっきりと「世はあなたがたを憎む」と言われました。

では、私たちは私たちに反発し、あるいは憎む世にどのように対応すべきなのでしょうか。

イエス様は「愛しなさい」と言われる。互いに「愛し合いなさい」と言われるのです。

人の心には、自分を憎む者を愛する愛はありません。罪の心は、憎む者には憎しみを返すことしかできません。

しかしイエス様は、自分を憎む者を愛する愛を教えてくださいました。十字架の上で。

そのような<絶対愛>を、イエス様は「わたしの名によって父に求めなさい」と言われているのです。

またそのような神の愛を持った者が、世に出て行って福音を宣べ伝える時に実を結ぶことができるのです。

コロサイ人への手紙に『愛は結びの帯として完全なものです』(コロサイ3章14節)とあります。

私たちは救われたクリスチャンであっても、まだまだ不完全な者たちです。

愛の薄い者たちです。しかし神様はこのような者を用いて、神の愛を宣べ伝えようと計画されたのです。 そのこと自体が、私たちに対する神の愛でもあります。

17節のみことばは、私たちの心に深く刻むべきことばです。

『あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです』。

そのような愛こそが、私たちに敵対しようとする世に対する ”武器” なのです。

これからも私たち八鹿教会の一人ひとりが、神の愛に生かされる者として精一杯主にお仕えしたいと願っています。

アーメン

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