
<讃美歌>讃美歌238番「いのちの糧、主よいま」
<聖書日課>ヨハネ6章35~40節「いのちのパン、キリスト」
ここ数週間、礼拝の中でヨハネの福音書6章から説教をさせていただいております。
ヨハネ6章の一つのキーワードは”パン”であり、私は「ヨハネ6章を<パンの章>と呼んでもいいのでは」と言いました。
また「ヨハネ6章の結論は、35章です」とも言いました。
礼拝説教の繰り返しになるかもしれませんが、イエス様は『わたしがいのちのパンです』と言われます。
ギリシャ語本文には、”いのち” に定冠詞が付いています。このいのちは、永遠のいのちです。
それは、当時のユダヤの人々がこよなく求めていた”いのち”であり、天の御国に入ることを意味します。
イエス様は、「わたしのうちに、永遠のいのちがある」と言われるのです。
また、この永遠のいのちは、将来だけのことではなく今世に生きている間から、永遠にいのちの喜びに生かされるのです。
それはすばらしいことです。しかしながらイエス様は『わたしに来る者は‥』、『わたしを信じる者は‥』と言われます。
それは、イエス様のところに来ようとしない者がいる、イエス様を信じようとしない者がいることを言っておられます。そこに、神様の全知全能の選びがあります。
37節に『父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます』とあるからです。
私たち信仰者は、みな父なる神がイエス様に与えられた者です。
そしてイエス様は、ご自分に与えられた者を一人として失なわれることはありません。
イエス様に与えられたすべての信仰者は、再臨のときによみがえることになります。(39節)
ここに、私たちクリスチャンの慰めがあります。希望があります。
パウロは、「この希望は失望に終ることがありません」(ローマ5:5)、と言っています。
この希望は、永遠のいのちの希望であり、イエス・キリストのパンを食べる者(信じる者)の希望です。
私たちは、その確かな希望をいただいた者として、これからも<いのちのパン>であるイエス・キリストを信仰によって、この世にあって喜んで過ごさせていただきましょう。
主があなたを豊かに祝福してくださいますように。
アーメン
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