=教会の中に神の愛が満ち溢れるために=

<福音書>ヨハネの福音書15917

 イエス様は最後の晩餐の席で、『わたしの愛の中にとどまりなさい』と言われた。それは、罪深いすべての人間に対する憐れみのことばでもあります。
イエス様にとどまっていさえすれば<愛の養分>をいただけるのです。主はあなたに、神の愛を注ごうとしておられる。人は最後には、死に直面して絶望します。
その時、死を越えた向こう側に希望を見るために、イエス様は「わたしにとどまれ」、「わたしが、父の愛の中にとどまっているように、わたしにとどまりなさい」と言われている。そのように霊的な深い絆で結ばれるからこそ人は「イエス・キリストの愛を他の人に伝えたい」との思いに突き動かされるのです。
 また主は言われる。「あなたの心が、喜びで満たされないといけない」と。
その愛の具体的行動として、イエス様が弟子たちの足を洗われました。(13:1)
クリスチャンの最大の特質は、その謙虚さにあります。そのように謙虚になって互いに仕え合う姿が、「互いに愛し合うこと」の中身であり、そのような者たちが集うところに主にある喜びが満ちるのです。
信仰とは、「主イエス・キリストの愛を知っている喜びに生かされること」です
そのために、主は自ら十字架に付いていのちを捨ててくださった。そして、その罪の赦しの喜びが根底にあるからこそ、人は互いに愛することができるのです。
世には様々な誘惑があります。それは、人を神様から引き離そうとするサタンの力です。しかし私たちは、神様の助けによりサタンの誘惑に勝利した者です。
 その世に勝った私たちに、主は『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』と言われます。
イエス様は、十字架に上げられ屈辱を耐えて私を愛してくださった。
 私たちの内のどこに、そのような愛があるでしょうか。
一人ひとりの信仰者が、ぶどうの枝として、しっかりと幹であるイエス様につながり、霊的な生きる活力をいただくとき、<互いに愛し合う愛>が生まれるのです。
そして、そのような者の集まりとしての教会の中に喜びが満たされます。
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