
=あなたが神様から多くの喜びをいただくために=
<ヨハネの福音書15章1~8節>
ぶどうの木のたとえ話から教えられることは「クリスチャンは成長するために刈り込まれる」ことです。
人を霊的に清くし、その者から悪い物を取り除くことが刈り込みです。
神様は、その者を弟子としてより清くするために、悪い世的なものを取り除かれるのです。そして、そのように清くされた者を、良い実を結ばせるために用いられます。
刈り込みは、枝にとっては辛いことです。ある意味、傷つけられるからです。
私たちも必ず刈り込まれます。それ自体は決して喜ばしいものではなくても、それによって世的なものが取り除かれ、あなたの心をより神様の方へ向けさせるのであれば、それは刈り込みです。
あなたが、今以上に神の栄光を現わすために、父なる神はあなたを霊的に清めようとして刈り込まれます。 人は高ぶるとき、神様のために実を結ぶことはできません。
また私たちは、イエス・キリストから離れたとき何もできなくなります。
それ故、イエス様は『わたしにとどまりなさい』と言われる。それは私たちが「いつまでも教会の交わりの中にとどまる」ことです。信仰生活が、教会の交わりの中に確立されている時、主はあなたを通して、ご自身の栄光を現わされます。
人はいつも意識してキリストの中に、教会の交わりの中にとどまっていないと、世の魅力に引き込まれ、枯れ枝となってしまいます。それは霊的な死です。
あなたは、父なる神の栄光を表すために、主の弟子として歩んでいますか。しかしそれは、あなたが犠牲を強いられることではありません。あなたが良い実を結び、弟子として歩み続けるのも、あなた自身の努力で成し遂げられないからです。
あなたがすることは、心をいつもイエス・キリストに向けることだけです。
その時父なる神は、あなたがもっと多くの実を結ぶために刈り込みをされるのです。
そのことはあなたにとって重荷とはなりません。
それによって、あなた自身の心の内にも喜びが満ち溢れるようになるのです。
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