
2025年04月23日(水)
<讃美歌>讃美歌290番「ガリラヤの風」
<聖書日課>第二サムエル6章1~15節「神を正しく恐れる」
ダビデは、アビナダムの家に置かれている神の箱を自分のところ(ベツレヘム)に迎えようとしました。その時ダビデは、「イスラエルの精鋭三万をことごとく集めた」(1節)のです。
ダビデにとって神の箱は、単なる物理的な箱ではなく、「神の臨在とイスラエルの民との契約を象徴する重要な役割を果たしていたのです。
ダビデは、神を正しく恐れていたために、神の箱を慎重なうえにも慎重に扱っています。
その神の箱をベツレヘムまで運んでいるとき、牛がよろめいたので、荷車を御していたウザが箱が落ちないように、神の箱に手を伸ばして掴んだのです。ウザは神に打たれてその場で死にました。
ウザの態度には、神の箱に対する慣れや軽視が伺われます。「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエル16章7節)と言われているように、
神は侮られるような方ではありません。私たちは、慣れや習慣的に神の前に出ることはないでしょうか。
私たちが聖日礼拝を守る姿勢やみことばを聞く姿勢は、主を恐れる者として正しいものでしょうか。
私たちの日々の信仰生活は、み言葉によって導かれているでしょうか。もし私たちの信仰生活の中に、ウザのように、神に対する慣れや軽視はないでしょうか。
私たちは、ダビデの生涯は主に祝福されたものであったことをよく知っています。それは、ダビデが生涯主に従いとおしたからです。(Ⅱ列王記11章6節)
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」
(マタイ6章33節)
皆様方が、ご自身の信仰生活において、正しく神を恐れ、神から豊かな祝福を受けられますように
心より願っております。
アーメン