ヨハネ3章1~17節

今日はヨハネの福音書3章から、ニコデモとイエス様の対話に耳を傾けましょう。これは「地上の伝統と、天から来たイエス様との対決」と言えます。
映画『国宝』では、歌舞伎の名門に生まれた息子に父親が「お前の血がお前を守ってくれる」と語るシーンがあります。しかしイエス様が説かれたのは、地上の血縁や伝統を超えた「上からの誕生」でした。ユダヤ人の指導者でパリサイ人のニコデモは「教師の中の教師」と呼ばれるほどの人でしたが、夜、人目を忍んでイエス様を訪ねました。彼はユダヤ人の伝統や律法遵守に自負を持っていましたが、自分が本当に神の国に入れるかどうかの確信はなかったのです。イエス様はニコデモに「人は、新しく(上から、という意味もあるギリシャ語)生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)と断言されました。ニコデモは「再び母の胎から生まれることか?」と困惑しますが、それは肉の血筋や地上の考えに縛られた発想に過ぎません。「肉によって生まれた者は肉」(6)です。神の国に入るには、御霊(聖霊)によって新しく生まれる必要があるのです。それをもたらすのはアブラハムの「血」ではなく、アブラハムの「信仰」です。アブラハムは神様の言葉に従い、自分の土地や親族、父の家を離れて約束の地へ向かいました。これは「親元を離れて生きよ」ということではなく、「天の神を仰ぎ見て生きよ」ということです。自分の行いではなく、ただ神様を信じる信仰によって、アブラハムは義と認められたのでした(ローマ4:3)。
いま私たちが仰ぎ見るべきもの、それは十字架のイエス様です。かつて荒野に掲げられた青銅の蛇を仰ぎ見た人々が蛇の毒から救われたように(民数記21:9)、私たちの罪の身代わりに十字架に上げられたイエス様を救い主として仰ぎ見るなら、誰でも罪の毒が清められ、永遠のいのちを持ちます。イエス様を信じて洗礼を受ける時、その人は「水と御霊によって」(5)生まれます。そして聖餐によってキリストの体と血をいただく時、私たちはその都度、新しく(上から)生まれ変わるのです。人間の血や古くからのしきたりは、私たちを守ってくれません。十字架で流されたイエス様の血こそが、私たちを永遠に守ってくれる血です。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(ヨハネ6:54)。
この「守ってくれる血」に感謝して、これからもイエス様を仰ぎ見ながら歩んで参りましょう。(永田 令牧師)