マタイの福音書5章13~20節
「あなたがたは地の塩です」(13)とイエス様は言われました。「地」とはこの世、「塩」は防腐剤や清めの目的に用いられました。「自分はこの世の腐敗を防ぎ、清める存在だ」などと思えないかもしれません。アダムとイブが神様に背いて以来、この世は罪と欲によって絶えず腐敗し、死の臭いが漂っています。しかし神様の家族となり、永遠のいのちをもって生きる人は、この世の腐敗を押しとどめ、清めの役割を果たし得るのです。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)とある通り、たとえ小さくても、あなたは国々の命運を左右するほどの存在なのです。塩は塩気を失えば何の役にも立ちません。塩気とは、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)や「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)といった神様の戒めと御言葉を失わずに生きることです。
またイエス様は「あなたがたは世界の光です」(14)ともおっしゃいました。山の上の町が旅人の大きな目印になるように、イエス様を信じる者の生き方は、暗闇を歩む人々に道を示す希望の光となるのです。
救いをもたらす神様の真実を信じる信仰が、世界には足りなさすぎます。だからその貴重な信仰を持っている人は、信仰を隠しているべきではありません。あかりを枡の下ではなく燭台の上に置くように、私たちの光を人々の前で輝かせ、私たちの良い行いを見て人々が天の父なる神様をあがめるようにしましょう(16)。
イエス様は律法を廃棄するためではなく、成就するために来られました。私たちの罪を背負って十字架で死ぬことによって、律法を完成させてくださいました。だから私たちは、形式的に律法を守る律法学者やパリサイ人のようにではなく、イエス様の十字架によって既に救われた者として、神様に喜ばれる生き方をしていきましょう。マタイ22:35-40にあるように、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして主なる神様を愛すること、また隣人を自分自身のように愛すること、これこそ私たちが守るべき最も大切な戒めです。この二つは、最初に述べた「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と「互いに愛し合いなさい」とに対応しています。これらを実現するためにイエス様は十字架にかかられ、私たちがこの二つの戒めの中で生きるように招いてくださいました。だから私たちは神様を愛して神様の栄光を表すような生き方を、また隣人を愛して人の温もりとなるような生き方をして行こうではありませんか。これこそ国の命運を左右させる「地の塩」としての素晴らしい生き方なのですから。
(井上 靖紹長老)