詩篇103篇1~5節

きょうは今年の姫路教会の主題聖句である詩篇103篇2節「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」。を中心に、103篇全体を学びましょう。ここで「たましい」と訳されたヘブル語「ネフェシュ」は、もともと「喉」や「息」を意味する言葉です。土のちりだった人間に、神様がいのちの息を吹き込まれたことで、人間はたましいを持つ者となりました。だから「わがたましいよ、主をほめたたえよ。」とは、「神様との交わりを持ちなさい」ということです。わたしたちの肉体や心は、人とのおしゃべりとか動画とかゲームを求めます。しかしそれだけでは、私たちのたましいが酸素欠乏のようになり、私たちは元気を失います。だからこそ、意識的に「わがたましいよ」と呼びかけ、礼拝に出席したり、家で聖書を読んだり祈ったりすることで、神様と交わり、「息」を吹き返す必要があるのです。
次に「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。「神様が与えてくださった恵みを忘れるな」ということです。「忘れるな」というのは、単に記憶に留めることではなく、すべての出来事の背後に神様の導きがあることを認めるということです。人間は九つ良いことがあっても、一つの悪い出来事で神様を呪ってしまう傾向があります。敬虔な王ヒゼキヤであっても、病気が治ったとき神様に感謝するのでなく自分の誇りとしてしまったように、人は誰でもそういう弱さ、罪があります。そんな私たちのためにイエス様が身代わりに十字架にかかり、私たちの罪をゆるしてくださったのです。「主は、あなたのすべての咎を赦し」(3)とある通りです。なんとありがたいことでしょうか?これこそ最大の「主の良くしてくださったこと」です。このことを心から喜ぶ時、私たちのたましいに真の平安が訪れ、内側が鷲のように新しくされます。「あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」(5)とある通りです。こうして「私」への恵みに始まった詩篇103篇は、やがて「私たち」つまり信仰の仲間たちと喜びを分かち合うようになり、ついには「すべて造られたものたちよ」(22)と、地上のすべてのものに賛美を呼びかけます。そして一番最後はまた「わがたましいよ、主をほめたたえよ」という、最初と同じ言葉に戻るのです。イエス様の十字架によるゆるしに感謝し、様々な出来事を経て、また主への感謝に戻っていく。これが私たちの信仰の旅路です。「主が良くしてくださったこと」を一つひとつ数えながら、これからも、この信仰の旅路を歩んでまいりましょう。

(永田 令牧師)