マタイの福音書5章1~12節
きょうはイエス様が語られた「山上の説教」から、本当の幸せについて考えましょう。イエス様がガリラヤで宣教活動を始められた当時、イエス様の評判はイスラエル全土に広がり、国中から大勢の群衆が押し寄せました。するとイエス様はあえて山に登って語り始められたのです。それは、単に病気を治してほしいとか、暮らしを良くしてほしいという人たちではなく、御言葉を真剣に聞き、神の前に正しく歩みたいと願う人たちだけに語りたいと思われたからです。その人たちに「本当の幸せ」を教えるために。
ここでイエス様が語られた「幸い」(ギリシャ語の「マカリオス」)は、偶然の幸運を指す「ハッピー」とは違い、神様の祝福に満たされた幸せを指します。神様に祝福されるなら、良いことがあったかどうかに関係なく、幸せになることが出来ます。
イエス様は「心の貧しい者は幸いです」と言われました(3)。「心」はギリシャ語で「霊」、「貧しい」は「物乞いをする」という言葉から来ています。「神の助けなど必要ない」というプライドを捨て、「神の助けとお恵みがなければ生きていけない」と認めて神様にすがる人のことです。そして「悲しむ者」(4)とは自分の罪深さに悲しむ人、「柔和な者」(5)とは柔らかい心でイエス様を受け入れる人、「義に飢え渇く者」(6)とは神様の前に正しくありたいと心から願う人です。これらはすべて、イエスキリストの十字架に人を導きます。もともと人間は心が貧しいどころか傲慢で、神様にも他人にも感謝のない者です。しかしイエス様はそんな人間の罪を背負って、身代わりに十字架で罰を受けてくださいました。誰でも自分のプライドを捨て、罪を認めてイエス様の十字架にすがる時、罪が赦され、天国がその人のものとなります。そして神様ご自身から慰めを受け、地を受け継ぎます。これが本当の幸せです。
こうして神様に祝福された幸せを知った人は、人との関係も変わってきます。7節の「あわれみ深い者は幸いです」以降は、人との関係について教えています。人へのあわれみ、人と接する時の心の清さ、人との間に平和をつくること。これらはその人自身の性格や優しさによるのではありません。十字架のイエス様にすがって聖霊様をいただいた人が、聖霊様によって変えられて行くのです。大事なことは、まず自分自身が神様の愛によって平和をいただき、神様に心を温めていただくことです。そうすれば他の人をも温めることが出来ます。言葉や、音楽や、ただ相手のそばにいることによって。このようにして人との間に平和をつくる人は、「神の子ども」と呼ばれます。これこそが本当の幸せです。そのような生き方が出来るように、これからもイエス様の十字架のことばを聞いて参りましょう。
(永田 令牧師)