ヨハネの福音書1章29~42節
ヨハネの福音書は他の3つの福音書(共観福音書)と異なり、読者に直接語りかける「メタフィクション」的な特徴を持っています。著者ヨハネの目的は、読者がイエス様を神の子キリスト(救い主)と信じ、永遠のいのちを得ることにあります(ヨハネ20:31)。
今日の箇所は著者ヨハネがバプテスマのヨハネの証言について書いている所です。バプテスマのヨハネはイエス様のことを「世の罪を取り除く神の小羊」 と証言しました(29,36)。これは、かつてイスラエルの民が小羊の血によって災いを免れた「過ぎ越し」の出来事(出エジプト12章)を象徴しています。あのとき家の柱に小羊の血を塗っていた家には災いが起こらず、塗っていなかったエジプトの家には災いが起こりました。それと同じように、イエス様の十字架を赤く染めた血が「私の罪をゆるすいけにえの血」と信じる人は罪がゆるされ、神様の裁きを免れます。イエス様はイスラエル人だけでなく「世の罪」、つまり全世界の人の罪を取り除いて救いをもたらすお方です。著者ヨハネはそのことをどうしても読者に伝えたかったのです。
バプテスマのヨハネの証言を聞いて、バプテスマのヨハネの2人の弟子がイエス様の所へ行き、「どこにお泊まり(メノー)ですか」と尋ねました(38)。この「メノー」という言葉は単なる宿泊ではなく、「とどまる」という意味を持ちます。神にとどまる者が持つ安らぎを、2人はイエス様の中に見出したのでしょう。その日2人はイエス様と「いっしょにいた(メノー)」。それによって、自分たちも平安と喜びに満たされました。この日彼らはイエス様をキリスト(救い主)と信じたのです。2人のうちのひとりアンデレは、家に帰るやいなや、まず兄シモンを探し出して「私たちはキリストに会った」と伝えました(41)。このようにキリストの証人となることを、著者ヨハネは読者に勧めています。これもヨハネの福音書の特徴です。弟アンデレに導かれてキリストと出会ったこの「シモン」こそ、のちにキリスト教会の基礎を築いたペテロです。 一時はイエス様を裏切ったりもしたシモンですが、イエス様は彼を最初から「ペテロ(岩)」と名付けていました。このことは、自分の弱さや罪深さを自覚している者こそが、ほんとうの「キリストの証人」になれる、ということを教えています。地震のように揺れ動く地に立ち、心も様々に揺れ動く私たちですが、イエス様の十字架の救いは決して揺らぐことがありません。このイエス様の十字架を、今年も見つめて行きましょう。そしてアンデレのように熱い思いを持って、「私はキリストに会った」と人々に伝えましょう。これが、著者ヨハネが読者にどうしても伝えたかったもう一つのことなのです。
(永田 令牧師)