ルカの福音書14章25~33節

今日のイエス様の言葉を初めて聞く人は、キリスト教も家族を捨てさせるカルト教団の一つのように感じると思います。「父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません」(26)。 この言葉は「群衆」(25)に語られたものです。この人たちはイエス様がパンを増やしたり病気を治したりするするのを見て「イエスについて行けば得をする」と思ってついて来た人たちです。何もない時はイエス様について行くけれど、家の用事や仕事に差し障る時はイエス様を拒絶する。それは本当の弟子とは言えません。イエス様は人間の生活の格を上げるために来られたのではなく、本当の「救い」を与えるために来られました。その真意を伝えるために、このような衝撃的な言葉を言われたのです。

ここで使われている「憎む」という言葉は、ユダヤ文化独特の表現で、本当に憎むとか嫌うという意味ではなく、「二つのうち選ばれなかった方」を指します。つまり、イエス様は家族を愛することを否定しているのではなく、家族や自分自身よりも、それらすべてを与えてくださったイエス・キリストを最優先しなさいということです。そうする時、今まで以上に家族や他人のことを大事に出来るようになるのです。

しかし私たちは、どうしても神様よりも自分や家族や仕事等を優先してしまう者です。そこでイエス様はたとえ話を使って「秘策」を教えてくださいました。塔を建てる者や戦争する王のたとえ。これらは、私たちが「愛の塔」を建てたり自己中心に勝ったりすることが出来る確率は「ゼロ」、つまり「必敗」であることを教えています。人は神様を一番にすることは決してできません。秘訣はただ一つ。「降参」することです。白旗を上げて、「私には無理です。あなたに委ねます」とイエス様におすがりするのです。イエス様は、私たちが神の戒めを守れないことをご存じの上で、私たちの罪を背負って十字架にかかり、私たちの代わりに神様の罰を受けて死なれ、復活されました。このイエス様を救い主と信じる時、私たちは神様から「合格」と言っていただけます。「白旗」は普通、敗北のしるしですが、イエス様に限っては勝利のしるしです。「必敗」するはずだった私たちが、イエス様に白旗を上げることで「必勝」する者となるのです。この恵みを知った者は、聖霊様の力によって家族や友人を今まで以上に大切にし、敬うようになります。だから意地を張らずにイエス様に白旗を上げ、「イエス様、助けてください」と日々叫びましょう。その人こそ「神と隣人を愛する」という真の勝利を得ることができる人です。

(永田 令牧師)