ルカの福音書12章32~40節
財産というのは人がこの世から去る時には何の役にも立ちません。イエス様はあらかじめ天国に蓄えておける「宝」があることを教えてくださいました。「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです」(32)。「小さな群れ」とは教会、「御国」とは天国のことです。教会は弱く小さいけれど、神様は喜んで天国という財産を継がせてくださるのです。それはイエス様の十字架のおかげです。本来、私たち人間には罪があり、欲深い性質のために神様との関係は断絶していました。だから天国は喜びどころか恐怖の対象でした。しかしイエス様が私たちの代わりに十字架で罰を受けてくださったので、イエス様を信じる者はすでに天国に入っています。だから天国に入るための財産も必要ありません。天国には天国の財産があります。
「持ち物を売って、施しをしなさい」(33)。これは簡単なことではありませんが、イエス様が求めておられるのは財産の放棄ではなく、富への執着の放棄です。富への執着を捨てることで私たちは天に宝を積む者となり、人に与えることによって自分自身が与えられます。損得勘定から吹っ切れて自由になる。その上でイエス様について行くなら、人助けのためにお金を使うことも自由にできます。私たちの宝のあるところに私たちの心もあります(34)。損得から自由になることが、豊かな天国ライフの準備、つまり「天活」の秘訣です。
「天活」のためのさらに優れた道、それは、イエス様の再臨(再び来られること)に常に備えるということです。主人が婚礼から帰ってくるのを待ち受けるしもべのように、いつでもイエス様を迎えられるように、目を覚まして待つのです。私たちがイエス様の帰りを心待ちにしていることを、イエス様はたまらなく喜ばれます。イエス様を待つとは、信仰生活を守り、兄弟愛を実践し、誘惑を避け、他の人に優しく、いつくしみ深くあることです。怒っているのを見るのはうれしいことではありません。怒りはなるべく早く鎮めましょう。このようにしてイエス様を待つことが、最高の天活です。まるで「どろぼう」が突然来るように、イエス様は思いがけない時に来られます。だから私たちも信仰の火を燃やし続け、いつイエス様が来られても良いように備えましょう。これこそ天国ライフへの準備であり、最高の天活なのです。
(井上 靖紹長老)