ルカの福音書10章1~11、16~20節

イエス様は、70人(写本によっては72人)の弟子を様々な町へ遣わされ、病人を癒し、「神の国が近づいた」と告げるようお命じになりました(9)。マタイやマルコが12使徒の派遣だけを記す中、ルカが両方を記したのは、この「70」という数字に深い意味があるからと思われます。まず70というのは、旧約聖書でモーセを助けるために選ばれた長老の数です(民数記11:16)。つまり、12使徒は「教職者」を、70人は「信徒」を指しています。福音宣教は教職者だけでなく、全ての信徒の務めだということです。

さらに、創世記10章に記された当時の全ての民族の数が、ヘブル語聖書で70、ギリシャ語聖書で72でした。つまり、12使徒の派遣はユダヤ人への伝道を象徴し、70人の派遣はやがて福音が世界中の人々に宣べ伝えられることを象徴しているのです。自分も異邦人だったルカは、イエス様がユダヤ人だけでなく「全世界の救い主」であることをどうしても読者に伝えたかった。それでこの70人の派遣の記事を書き残したのでしょう。

さて、この70人は、イエス様の御名を使うと悪霊さえ服従したことに驚き、喜びました。イエス様は彼らに「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」を与えた、とおっしゃいました。イエス様を信じる全てのクリスチャンには聖霊様が与えられていますから、皆この力を持っています。

イエス様が彼らを「二人一組」で送り出したのは、喜びや悲しみを分かち合うためだけでなく、イエス様の御名によって共に祈るためでした。マタイ18:19-20にあるように、二人でも三人でもイエス様の名によって祈る祈りは必ず聞かれ、イエス様もその中におられます。この大きな力は2000年以上たった今でも人々の病いを癒し、苦しみから解放し、人々に喜びを与えます。宣べ伝えた側のクリスチャンにも大きな喜びと幸せが与えられます。しかし、喜んで帰って来た70人に、イエス様は最後に言われました。「悪霊たちが服従したことではなく、あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(20)。たとえクリスチャンであっても、人はすぐ自分を誇ります。しかしその罪も、イエス様の十字架の血潮によって赦され、天国のいのちの書に名前が記されました。私たちが唯一誇るべきは、イエス様の十字架です(ガラテヤ6:14)。このことを常に忘れず、日々悔い改めてイエス様の十字架に立ち返る時、私たちは初めて他の人を幸せにし、喜びを与える者となることが出来るのです。

(永田 令牧師)