ルカの福音書24章44~53節
きょうは昇天主日です。イエス様は弟子たちの見ている前で「上げられ」、雲に包まれて「見えなくなられ」ました。天国は物理的に「上」にあるのではありませんが、イエス様が「上」に昇られたのは、イエス様が本来「いと高きお方」であることを象徴的に示すためです。いと高き神と等しいお方であったイエス様が、私たち罪人を救うために低くなられ、十字架の死にまで従われたのです(ピリピ2:6-8)。そのことをあらためて感謝し、心からイエス様をあがめ称えましょう。
また昇天によってイエス様は「見えなくなられ」ました。ところが弟子たちは落ち込まず、「非常な喜びを抱いて」(51)神をほめたたえていました。それは、イエス様が去った後、助け主である聖霊様が来られるという約束をイエス様から聞いていたからです。ルカの福音書は昇天で終わりますが、同じルカが書いた「使徒の働き」は再び昇天の場面から始まります。福音書に書かれたイエス様の働きは「始まり」であって、それが教会に引き継がれたのです。イエス様の昇天こそ、イエス様ご自身の働きから教会の働きへの「バトンタッチ」の出来事です。ここから教会の働きが始まって行くのです。来週は聖霊降臨祭です。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」(使徒1:8)。「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)。これらの「力(デュナミス)」はダイナマイトの語源であり、壁をも打ち壊す力です。でも力で相手を屈服させるためではなく、イエス様の証人となるための力、イエス様の十字架の福音による罪の赦しを証しする力です。そのために私たちは日々聖書の御言葉をいただく必要があります。聖書の全体がイエス様ご自身について書かれていることを、イエス様は昇天の直前まで弟子たちに教えておられました。わたしたちが素直な心で聖書を開く時、イエス様ご自身が私たちの心を開き(45)、聖書を悟らせてくださいます。聖書の御言葉と聖餐式によって、イエス様を内側にいただく時、わたしたちは聖霊様の力によってイエス様の証人になることができます。
「使徒の働き」は28章で終わりますが、29章はわたしたちが書いていくのです。言葉だけでなく、それぞれのタラントを用いて、様々な方法で29章を書いていきましょう。教会はイエス様の体であり、今もイエス様ご自身が、教会の中に生きて働いておられるのですから。
(永田 令 牧師)