ヨハネの福音書21章1-19節

今日の聖書箇所は、ヨハネの福音書の「補足」にあたる部分です。特にシモン・ペテロが教会の礎を築く者として自他ともに認められるために、今日の箇所が必要でした。イエス様が逮捕された時、ペテロはイエス様のことを3度「知らない」と言いました。イエス様はそのことをペテロに予告しておられましたが、果たしてその通りになったのです。ペテロが3度目に「イエスなんて知らない」と言った時、イエス様は振り向いてペテロを見つめたとルカ22:46に書かれています。それはどんな眼差しだったのでしょうか?

そんなわけで、よみがえられたイエス様が弟子たちの部屋に来られた時、ペテロの心には一抹の不安があったことと思います。「もうイエス様は私に失望されたのではないか?」という不安が。

今日の箇所の舞台は、多くの弟子たちの故郷であるガリラヤ湖畔です。イエス様を待ちながら弟子たちは漁を始めます。が、一晩中やっても魚は獲れませんでした。すると「ある人」が岸辺に立ち「舟の右側に網をおろしなさい。」(6)と声をかけました。弟子たちがその通りにすると、おびただしい数の魚が獲れたのです。声の主はイエス様でした。そうとわかるとペテロは泳いでイエス様の方へ向かいました。一刻も早くイエス様に会いたかったのです。浜辺でイエス様と弟子たちは、まるで聖餐式のように朝食を共にしました。食事が終わると、イエス様はペテロに「わたしを愛するか」とお尋ねになりました。しかも3度。これはペテロが3度イエス様を否定したことと関係しています。しかしイエス様は彼にイヤミを言ったのではありません。自分の罪や弱さをしっかりと見つめさせ、だからこそイエス様が身代わりに十字架で死んでよみがえったのだということを、はっきりわからせようとされたのです。ペテロは心を痛めながらも「はい、あなたはご存じです。」と答えました。するとイエス様は「わたしの羊を飼いなさい。」と、やはり3度おっしゃいました。ペテロは失格してはいなかった。キリスト教会の礎の「岩」として大いに用いられたのです。私たちも同じです。悔い改めてイエス様にすがり、聖餐にあずかる者を、イエス様は大いに用いてくださいます。それがイエス様の最初からのビジョンです。初めてシモンに出会った時に、彼のことを「ペテロ」(岩)と名付けられたように。

(永田 令牧師)