ヨハネの福音書13章31-35節

人はどんなクリスチャンを見たら「本物のクリスチャン」だと思うでしょうか?洗礼を受けている人でしょうか?聖書を愛読している人でしょうか?いいえ、そうではありません。クリスチャン同士が「互いに愛し合っている」姿を見る時です。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(35)とある通りです。言葉や口先だけで愛するのではありません。「行いと真実をもって」愛するのです(Ⅰヨハネ3:18)。では「行いと真実をもって」愛するとは、どのように愛することでしょうか?それはまさに「イエス様が愛されたように愛する」ということです。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(34)とある通りです。しかしこの「ように」には、「~と同じように」という意味だけではなく、「~だから」という意味もあります。「イエス様があなたを愛した。だから、あなたがたも愛し合いなさい」ということです。まず最初にイエス様の愛があるのです。それは命を捨てるほどの愛。十字架の愛です。罪と汚れに満ちた私たちを、イエス様は一方的に愛してくださり、私たちの身代わりに十字架にかかって死んでくださいました。このイエス様の十字架を、自分のためだったと信じて洗礼を受けた人は、聖霊様をいただきます。聖霊様が共におられるというのは、すなわち神様が共におられる(インマヌエル)ということです。「だから」わたしたちも互いに愛し合うことが出来るのです。神様ご自身の力と愛によって。

「クリスチャン」を名乗りながら戦争をしている人や国がたくさんあります。それはイエス様がお命じになった「互いに愛し合う」という戒めを軽んじているからです。だから、それが出来ていない自分を認め、心から悔い改める事が大切です。そうする時「イエス様を十字架につけたのは私だ」ということがわかります。でもその十字架のおかげで私たちは救われたのです。この大いなる愛に満たされること。これこそ、私たちがお互いに愛し合う秘訣です。コップの水が一杯になると自然に溢れ流れるように。こうして私たちが本当に愛し合うなら、人々はそれを見て言うでしょう。「確かにあなたたちは本物のクリスチャンですね。」と。

(永田 令 牧師)