Ⅱ歴代誌8章12-16節
きょうは今年の姫路教会のあいことばである「主の宮を整えよう」ということについて学びましょう。今年の主題聖句は「このように、ソロモンの工事は、主の宮の礎を据える日まで、また、その完成まで、すべてが整えられていた。主の宮は完全であった」(Ⅱ歴代8:16)です。「主の宮」というのは今から3000年以上前にイスラエルのソロモン王がエルサレムに建てた神殿のことです。神殿の原型は、ソロモンよりさらに400年以上さかのぼったモーセの時代に荒野に造られた「幕屋」です。幕屋はいわば「移動式神殿」です。幕屋(神殿)は「神様の家」です。もちろん神様は全宇宙にも収まりきらないお方ですから、人間が造った建物などに収まるはずはありません。しかし神様ご自身が神殿を「ご自分の家」としてお認めになったのです。ですから当時の人たちは「聖なる神様がここにおられる」という「おそれ」を持って幕屋や神殿に入り、神様にいけにえをささげました。いけにえの手順を間違えた大祭司はその場で神に打たれて死にました。それほど命がけだったのです。もちろん当時の神殿と、今のキリスト教会は同じではありません。しかし「神様へのおそれ」の姿勢を忘れてはいけません。「人間は神様の前に汚れた者」という事実は変わっていないからです。しかしその人間の罪をイエス様が背負って、代わりに十字架で罰を受けてくださいました。イエス様こそ完全な、そして唯一の「いけにえ」です。イエス様が十字架で息を引き取った時、神殿の、もっとも聖なる場所(至聖所)の入り口の幕が真っ二つに裂けました(マタイ27:51)。それは、イエス様の死によって汚れた人間が「聖所=天国」に入れるようになったということを表しています。このことに感謝して、毎週教会でイエス様を礼拝するのです。御言葉と聖餐によって、人はますます自分の罪を自覚し、ますますイエス様に感謝する者となります。また神殿では絶えず香炉から香が立ち昇っていました。この香は「聖徒の祈り」です(黙示5:8)。だからわたしたちも教会で心を合わせて祈りましょう。そしてソロモンの神殿の建物や奉仕が「最高」だったように、わたしたちも「最高の礼拝」のために奉仕し、環境を整えましょう。わたしたちは内側に聖霊様を宿す「主の宮」です。だからこの体を最大限用いて、神様と他の人々にお仕えしましょう。
(永田 令牧師)