ルカの福音書23章33~43節

多くのクリスチャンが、受洗の時に期待したような「キラキラ輝く」信仰生活を送れない、と嘆きます。しかし当のイエス様ご自身が、一見全然輝いていないお方だったのです。本当はイエス様は、天と地と、王座、主権、支配、権威を含むすべてを創造し、すべてを支配しておられる輝ける王です(コロサイ1:16)。この真の王としての地位が全世界の人の目に明らかになるのが、イエス様が再び地上に来られる「再臨」の日です。ユダヤ人は「メシヤ(キリスト)はまだ来ていない」と主張しますが、メシヤは2000年前に既に来られました。イエスキリストがそのお方です。その時はロバの子に乗って「黄金の門」をくぐり、エルサレムに入られました。しかし2度目(再臨)の時は、もはやロバに乗ってではなく、力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来られ(ルカ21:27)、地上のすべての人々が「イエスこそ王であった」と認めざるを得なくなります。

しかし、この真の王であるイエス様は、最初の降臨(クリスマス)の時、王宮ではなく臭く汚い馬小屋で生まれ、寝る場所もない生涯を送り、ついには史上最悪の処刑法である十字架につけられました。罪人たちと全く同列に数えられ、ユダヤ教の指導者や兵士たちや民衆から「ユダヤ人の王よ」とあざけられました。それでもイエス様は十字架から降りるどころか「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(34)と、すべての人間のために祈られました。「彼は多くの人の罪を負い、神にそむいた人たちのためにとりなしをされた」のです(イザヤ53:12)。このイエス様を「私の代わりに死んでくださった王」と信じる人は、罪が赦され、天国がその人のものとなります。イエス様の両側で十字架につけられた犯罪人のうちの一人は、自分の刑罰が当然の報いだと認め、イエス様を神の国の王であると信じました。そして「あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」と願いました。するとイエス様は彼に、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(43)と約束されました。これが、十字架上のイエス様を「永遠の王」と認めた者に与えられる栄誉です。神様は私たちを暗闇の圧制から救い出し、愛する御子の支配の中に移し、罪の赦し(贖い)を与えてくださいました(コロサイ1:13-14)。この栄光に輝く王の再臨をクリスチャンは待ち望んでいます。そして、その時が来るまで、「十字架の上のイエス様こそ永遠の王」ということを伝え続けます。信仰生活は落ち込むことばかりですが、罪ゆるされた喜びと、神様から与えられた忍耐と寛容をもって生きる時、たとえキラキラ輝いていなくても、その姿を通して栄光のイエス様を他の人々に映し出すことができるのです。

(永田 令牧師)