ルカの福音書21章5~19節

6/8の聖霊降臨祭から約半年間続いていた「聖霊降臨後主日」が来週で終わり、11/30からアドベントに入ります。教会暦ではその日から新しい年が始まります。聖霊降臨後主日の典礼色は緑でした。それは聖霊降臨後主日が、クリスチャンが畑の作物のように青々と霊的に成長して豊かな実を結ぶための期間であることを示しています。今年姫路教会が掲げている「主の宮を整えよう」というあいことばも、建物やシステムを整えるためだけでなく、心から神様をあがめ、礼拝するためでした。

人々が「なんと立派な建物でしょう」と称賛したエルサレム神殿(ヘロデ大王の時代から84年かけて拡張された)について、イエス様は「石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます」とおっしゃり、その崩壊を予告されました。このことは、直前に書かれている「貧しいやもめが2レプタをささげた話」と関係しています。金持ちがあり余る中から多くの献金をしたのに対し、やもめは乏しい中から生活費の全部を捧げました。それを見てイエス様は「彼女は誰よりもたくさん捧げた」と言われました。イエス様が重視されたのは、人間的な立派さや称賛を得るための行為ではなく、すべてを差し置いて神様をあがめる真の信仰です。神様への信仰に基づかないものは、いくら立派であっても空しく、跡形もなく崩れ去ります。ヘロデの神殿も、西暦70年にローマ軍に破壊されました。

イエス様は続けて、この世の終末の兆候(戦争、暴動、大地震、疫病、飢饉など)を語られ、神様から離れた人間が作り出す世界の危うさを示されました。これらを見ると、今まさに終末が近いと感じます。しかし確かな希望があります。それはイエス・キリストです。この世界を破壊させるほど罪深いわたしたち人間の罪を、イエス様は背負われ、十字架で死んでわたしたちの身代わりに罰を受けてくださいました。イエス様を救い主と信じる者は罪がゆるされ、いつ裁きの日が来ても大丈夫です。その人には「義の太陽が上り、その翼には、いやしが」あります(マラキ4:2)。大切なのは、地上の様々な出来事に惑わされることなく、イエス様の十字架の福音から外れないことです。福音を信じて洗礼を受けた人は、毎日自分の罪を悲しんで、悔い改めることにより、毎日新たに死んで、新たによみがえります。この毎日の悔い改めとよみがえりを通して、「締まりのある生き方」(Ⅱテサロニケ3:6)を保つことができます。「締まりのある」とは「隊列を乱さずに神様の軍隊を進み続ける」という意味の言葉です。見た目の立派さを追い求めるのではなく、十字架のイエスを仰ぎ見つつ真っすぐ進み、心から主をあがめ、賛美する。そんな「締まりのある生き方」を歩み続けましょう。

(永田 令牧師)