ルカの福音書3章7-18節

ハレルヤ!きょうは洗礼(バプテスマ)式が行われます。きょうの福音書にも「バプテスマのヨハネ」が登場します。ヨハネはイエス様が来られる少し前に現れて、人々にイエス様をお迎えする準備をさせた人です。その準備とは、「悔い改めてバプテスマを受ける」ことでした。ヨハネは民衆に言いました。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか」(7)。「まむしのすえ」というのは、最初の人間アダムが蛇(悪魔)に誘惑されて禁断の木の実を食べて以来、人間は罪に落ち、悪魔の支配下となったことを指します。自分もその一人であることを認めて罪を悔い改めよ、とヨハネは説いたのです。具体的には「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい」(11)など、愛の行為をヨハネは勧めました。人々は、他者への思いやりが足りなかったことを反省し、次々とヨハネからバプテスマを受けたのでした。

今も世界中で争いがあり、多くの人が傷つき、飢えています。すべて人間の罪の結果です。わたしたちも例外ではありません。自分より立場の弱い人に犠牲を強いて、自分が得しようとしてしまう所が、わたしたちにもあります。そのことをあらためて悔い改めましょう。

しかしヨハネの最大の功績は、人々に反省を促して悔い改めのバプテスマを授けたことではありません。救い主イエス様を人々に知らせたことです。「私(ヨハネ)は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし…その方(イエス)は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」(16)。自分の生き方を反省し、善行を行うのは素晴らしいことです。しかしその一方で「わたしってなんて優しいんでしょう」と思ってしまうのも人間です。本質的に罪びとだからです。しかしイエス様は、そんなわたしたちの代わりに十字架にかかり、罰を受けてくださいました。

このイエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受けた人は罪が赦され、天から聖霊様がくだり、新しく生まれ変わります。そしていつも「主にあって」喜べる者となるのです。たとえ試練や恐れが絶えないような状況であったとしても。

(永田 令牧師)